2015年09月06日

英文法に見るテンス解釈(6)

  『謎解きの英文法時の表現』久野すすむ・高見健一 ()[くろしお出版 (2013/8/10)

  He leaves for London tomorrow.と He will leave for London tomorrow 1

  これまで、日本語の時制の解釈の結果、「時間は、過去、現在、未来の3つがありますが、それらを表す時制は2つだけで、「未来時制」というものはないことになります。また、動詞の現在形が現在時と未来時を表すわけです」という結論を導く過程の誤りを見て来ましたが、ここでは「英語の場合も、動詞の現在形は、現在時と未来時の両方を指すことができます。次の例を見て下さい。」と文例が挙げられます。

  (12alike Hanako  [現在時]

            bTaro understands French.  [現在時]

     13aHe leaves  for London tomorrow [未来時]

           bTaro graduates from college next year[未来時] 

これらは、先に見た日本語の文に対応しており、(12a,b)は話し手や太郎の現在の状態を、(13a,b)は彼や太郎の未来の動作を表しており、動詞の現在形が、現在時と未来の両方を表わすことが分かります(【付記4】参照)。と、記し、「そうすると、英語も日本語と同じように、未来時を表す要素はなく、時制は2つで、現在時制が現在時と未来を表すと考えてよいのでしょうか。」と疑問を呈し、次のように論を進めます。まず、(13a)を再掲し、willを用いた文でも表現されることを示します。 

   aHe leaves for London tomorrow [未来時](=13a

     bHe will leave  for London tomorrow [未来時]

 そして、この両者の違いが次のように説明されます。

 それは、a.が、彼の明日のロンドン出発がすでに確定しており、話し手がそれをもはや変更の余地のない確実なことだと見なしているのに対し、b.は、彼の明日のロンドンへの出発が、a.ほどには確定したものではなく、「明日はロンドンへ出発するだろう」という、話し手の推量、予測を表わしています。そして、重要なことは、彼がロンドンへ出発するのは未来時(明日)に起こることですが、話し手がそう述べているのは、発話時の、つまり現在の予測だという点です。

この、b.に対する説明は正にその通りの正しい説明ですが、a.の場合leavesと3人称単数現在になっており、話者は明らかに「Heロンドン出発」という事態に現在として対峙していると見なければなりません。従って、「話し手がそれをもはや変更の余地のない確実なことだと見なしているの」は発話時の、つまり現在ではなく、未来のHeロンドン出発」という事態に現在として対峙している観念的に自己分裂した話者であると見なす他ありません。そして、そこから現在に戻りHeロンドン出発」が明日のことであるのを確認し、tomorrowと言っていることになります。「話し手がそれをもはや変更の余地のない確実なことだと見なしている」のであれば、tomorrowと言う必要もないのですが、そのばあいは正に、He leaves  for Londonとなります。そうでないと、著者がb.の説明で現在の予測を強調している事実と整合しません。話し手の観念的自己分裂と移動なしに単に確信の相違だけではa.はあくまで現在の表現にとどまるしかありません。つまり、著者がはしなくも説明している通り、b.は「彼がロンドンへ出発するのは未来時(明日)に起こること」(強調はブロガー)を表現しているということです。

 このような時制表現の本質を捉えられない説明の誤りが、本書の「第3章 現在形は何を表すのか?(2)」で露呈し、次のように記しています。 

動作・出来事動詞の現在形の実況的報道機能は、特殊なコンテキスト(たとえばスポーツの実況放送)にしか用いられない機能で、文法学者たちによってあまり観察されてこなかった機能ですが、私たちは、この機能が、歴史的現在形の基盤になっているものと考えます。

 このように、「歴史的現在形」の本質を明らかにすることができずに、単に文の機能とするしかないことになります。そして、同じ章の「●未来の事柄が現在起こっているかのように確実」の節では、 

それは、現在形が,(11a-c),(12a,b)[現在形で未来の事柄を表している文例:ブロガー注]で述べる未来の動作や状態を、あたかもタイムスリップをして、現在起こっている動作や状態であるかのように描写しているためです。歴史的現在が、過去の事柄を現在形で表現し、それがあたかも現在起こっているかのように描写するものであることを先に述べましたが、(11a-c),(12a,b)は、このちょうど逆で、未来の事柄を現在形で表現し、それがあたかも現在起こっているかのように描写しています。

 と「あたかもタイムスリップをして」と、何が「タイムスリップ」をしているのかを捉えることが出来ずに比喩的に述べるしかない結果となります。今回はここまでにしておきましょう。■

  
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2015年09月02日

英文法に見るテンス解釈(5)

  『謎解きの英文法 ― 時の表現』久野すすむ・高見健一 (著)[くろしお出版 (2013/8/10)]

   ●動詞の現在形が現在時と未来時を表す(3)

 前回の、

 一方、動作動詞が現在時を指せるのは、次に示すように、習慣的動作を表す場合に限られます。(【付記2】参照) 

  私は毎朝ジョギングする。 [現在時]

 の【付記2】を見てみましょう。次の通りです。 

 「私は来年から毎朝ジョギングする。」は、未来時を指しますから、(10)の「私は毎朝ジョギングする」には、実は、現在時と未来時の両方の解釈があります。ただ、(10)がこのような文脈がなければ、現在時の解釈が圧倒的に強くなります。                                                   

  ここでも、話者の認識を無視し、文に示された「する」の解釈の問題にしてしまい、「圧倒的に強くなります」というのでは文脈とは何かが理解されていません。文を支えるのは話者の認識であり、これが文脈に示されているのですから、「圧倒的に強く」なるか否かの解釈の問題ではなく、話者がどのような認識を表現しているのかを追体験するのが読解です。 

 私は来年から毎朝ジョギングする。 

では、話者は「来年から」で観念的に来年に移動し、これに対峙することにより現在として、「毎朝ジョギングする」 と表現し、これが固い決意で確実な事実であるため、現在には戻らずに文を終えています。さらに、強調する場合は、 

 私は来年から毎朝ジョギングするつもりだ。

  私は来年から毎朝ジョギングするのだ。 

となります。ここから現在に戻り、未来の表現であることを確認した場合には。

  私は来年から毎朝ジョギングするだろう。 

 私は来年から毎朝ジョギングしよ 

と断定の助動詞「だ」の未然形+未来推量の助動詞「う」や未来推量に意志の加わった「う」が連加されます。

 このように、話者の認識と観念的な動きの表現としての時制を捉えることができずに、単に語の形と対象を直結する言語実体観では時制の本質を正しく理解できないことになります。■

  
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2015年08月31日

英文法に見るテンス解釈(4)

  『謎解きの英文法 ― 時の表現』久野すすむ・高見健一 (著)[くろしお出版 (2013/8/10)]

    ●動詞の現在形が現在時と未来時を表す(2 

 前回、著者らの日本語文法理解の誤りを指摘しましたが、まだ指摘すべきことがあります。もう一度前回の例文を再掲します。

   (7)  a私は花子が好きだ。      [現在時]

   b.太郎はフランス語が分かる  [現在時]

 (8)   a.彼は明日ロンドンへ出発する [未来時]

     b.太郎は来年大学を卒業する  [未来時] 

 この(7)の「好きだ」が動詞ではなく、形容詞「好き」+助動詞「だ」であることは前回とりあげましたが、(8)の「出発する」「卒業する」を動作動詞としている点にも問題があります。これらは、漢語の動作性名詞「出発」と「卒業」に抽象動詞「する」を連加したものです。漢語は活用をもたないため、そのまま動詞として使用したり、接尾語や助動詞を直接結びつけることができません。それで、抽象動詞「する」(活用:せ、し、す、する、すれ、せよ)を結びつけて抽象的に捉えなおして、この活用を利用したものです。従って、動作を表してはいますが、動詞は抽象動詞「する」です。過去形になれば、「し」+「た」で「した」となります。

なぜ、このような誤った理解に陥ったかは、前回の形容詞の場合と同じで、「出発する」を英語のdepartと、「卒業する」をgraduateと同一視してしまったからです。なお、「好き」を動的に捉えれば、 

  私はいずれ花子を好きになるだろう。 

と、抽象動詞「なる」を連加します。

このような粗雑な日本語理解は次に続いています。

 先の「状態動詞の現在形は未来時を表すことができません。」という誤断に続いて、次のように記しています。 

一方、動作動詞が現在時を指せるのは、次に示すように、習慣的動作を表す場合に限られます。(【付記2】参照) 

 私は毎朝ジョギングする。 [現在時]  

この文は、話し手が現在の習慣として定期的にジョギングを行うという、話し手の現在の状態を述べています。「ジョギングする」自体は動作動詞ですが、習慣的動作だと、その現在形がこのように、状態動詞の現在形と同じく、現在の状態を指し得るのは、習慣的動作が、1回から数回の動作とは異なり、定期的に繰り返し行われるため恒常性が強いからです。 

 この動作性動詞なるものも、外来語である名詞「ジョギング」は活用をもたないため、抽象動詞「する」を連加したものです。従って、日本語の動詞は抽象動詞「する」です。日本語の動詞では、「軽く走る」とでもいうところで、動詞「走る」を動作性動詞と呼ぶのは誤りではありませんが。

 さて、この動作動詞が現在時を指せるのは「習慣的動作を表す場合に限られます。」というこの説明の内容ですが、これは二重、三重に誤った説明です。「ジョギングする」でも「走る」でも良いのですが、2回目に歌舞伎の世話物狂言「弁天小僧」の台本の「ト書き」で示した通り、習慣的動作ではなく、その場の指示として現在形が用いられています。なにも、「習慣的動作」には限られていません。これは事実に相違した誤りです。さらに、

 習慣的動作だと、その現在形がこのように、状態動詞の現在形と同じく、現在の状態を指し得るのは、習慣的動作が、1回から数回の動作とは異なり、定期的に繰り返し行われるため恒常性が強いからです。

 と説明していますが、「恒常性が強い」動作でなくとも、

  晴れた、青空の日にはジョギングする。 

というような条件的な使い方は良くあります。動作動詞であろうとなかろうと、現在形が使用されるのは何ら習慣的動作に限定されるものではありません。そして、「定期的に繰り返し行われるため恒常性が強いからです。

」というのは、動作動詞が現在時を指せるのは「習慣的動作を表す場合に限られ」る理由の説明にはなっていません。単に著者の思い込みの事実を、現象として説明しているだけです。

 このような、現象的、機能的な粗雑な日本語文法理解からは日本語の時制の本質はもとより、英語の時制の理解も、さらにアスペクトの理解も望むべくもないものです。著者は、これまでの議論に基づき、 

 時間は、過去、現在、未来の3つがありますが、それらを表す時制は2つだけで、「未来時制」というものはないことになります。また、動詞の現在形が現在時と未来時を表すわけですから、動詞の現在形を「現在時制」と呼ぶのは、厳密には妥当ではなく、過去を表す「過去時制」に対して、「非過去時制」とでも呼ぶのが正確と言えるでしょう(ただ、本章では分かりやすさのため、「現在時制」という言い方を用います)。従って、時制は、中学生の頃おもっていたような1対1の対応はしていないことが以上から明らかです。 

と断定していますが、これが現在の生成文法の理解の現状です。ここでは、時制が対象の属性として固定的に捉えられているため、多くの事実誤認と論理の踏み外しを抱え込んでいます。この本では、次に英語の場合を考察し、さらに「現在形は何を表すか?(1) 第2章」と進みますので、さらに検討してみましょう。■

  
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2015年08月21日

英文法に見るテンス解釈(3)

  『謎解きの英文法時の表現』久野すすむ・高見健一 ()[くろしお出版 (2013/8/10)

   ●動詞の現在形が現在時と未来時を表す  (1)

 この節では、「動詞の現在形で、現在形は次に示すように、現在時と未来時の両方を指すことができます。」と、次の例文を挙げています。 

  (7)  a私は花子が好きだ。      [現在時]

   b.太郎はフランス語が分かる  [現在時]

(8)  a.彼は明日ロンドンへ出発する [未来時]

    b太郎は来年大学を卒業する  [未来時] 

 したがって、現在形は、現在時と未来時の両方を表すことが出来る、と結論しているわけですが、ここで、(7)(8)の決定的な違いは前者が「状態動詞」、後者が「動作動詞」であると奇妙なことを記しています。さらに、状態動詞の現在形は、次に示すように、未来時をあらわすことができません(【付記1】参照)、として次の文を挙げています。 

  a*この車は来年古い。 

    b*太郎は来年フランス語が分かる。 

 ここで、まず誤っているのは、(7a)の「好き」は動詞ではなく形容詞です。「好きだ」の「だ」は断定の助動詞です。a.の「古い」も形容詞です。なぜ、こんな初歩的な誤りが記されたのかは容易に推測できます。英語はSVO構文で、必ず主語と述語よりなり、述語は動詞Vなので、機械的にそれを日本語に適用してしまったためです。「*」は生成文法で使用する「非文」の表示です。これは主観的な判断であるだけでなく、そのために文字通り、文ならざるものを機械的・形式的に作成し文のごとく提示するという悪弊を生みだしていることに気づいていません。a.の文は、「古い」を「状態動詞」と思い込み、機械的・形式的に「この車は」という句に続けて並べただけの語の羅列で、対象を認識し表現した文ではないのです。b.も同様です。このような、機械的・形式的なプラグマティックな発想が生成文法の本質です。文として、これらを記せば、 

  aこの車は来年には古くなる。 

    b.太郎は来年にはフランス語が分かる。 

で、何ら問題のない文となります。「なる」は抽象動詞と呼ぶべきですが、現状は形式動詞と呼ばれています。「状態動詞の現在形は、次に示すように、未来時をあらわすことができません」などというのが誤りなのは明確で、生成文法なる発想の本質が明らかとなります。先の、【付記1】は次のように記されています。 

 ただ、状態動詞の現在形は未来時を表すことができないという制約は、次のような文が適格であることから、コピュラ(連結詞)で終わる形式には適用しないように思われます。

 (ia母は来年米寿です

b.私は来年の夏、ひとりぼっちです 

「コピュラ」とは繋辞で英語の場合「be」動詞で、判断辞ですbe」動詞はThere is a pen.の存在詞でもあるのですが、この点が著者に理解されているのかは後で分かります。この、(i)の2文の「です」は「状態動詞」ではなく、断定の助動詞「だ」の丁寧形です。「適格」などという判断も「非文」と対をなす主観的判断で、何ら論理的ではありません。この【付記】も、「状態動詞の現在形は、次に示すように、未来時をあらわすことができません」という誤りの根源が論理的に理解出来ずに、例外的な扱いでエクスキューズを記したものに他なりません。

ここでは、著者らの生成文法による日本語理解がいかに言語事実に相違した非論理的、非科学的な内容であるかが露呈しています。これらは、屈折語である英語の文法の誤りを機械的に日本語に適用した誤りであることもまた明らかにしています。これでは、日本語はもとより、英文法の謎ときなど不可能というしかありません。どのような謎ときになるのか、さらに追及していきましょう。■

  
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2015年08月20日

英文法に見るテンス解釈(2)

 『謎解きの英文法時の表現』久野すすむ・高見健一 ()[くろしお出版 (2013/8/10)

   ●「だろう/でしょう」は「推量」の助動詞 

 この節は、「だろう/でしょう」は、未来時を表す要素ではなく、話し手の推量を表す助動詞です、と始まります。そして、

 つまり、話し手がある事柄を真実であると考えつつも断定せず、言い切らないで保留する表現です。国語辞典などでは、推量を表す助動詞として、「う/よう」(明日は雨が降ろう/午後は晴れよう)が上がっていますが、現代語では「だろう」の方が自然で、その丁寧な形が「でしょう」です。したがって、この助動詞は次に示すように、過去、現在、未来のいずれの事柄についても用いられます。

 として次の例文を挙げています。 

  a.君は昨日事故にあって、さぞ怖かっただろうでしょう  [過去時]

   b.京都は今頃、紅葉がきれいだろうでしょう。       [現在時]

  c洋子は明日、パーティーにきっと来るだろうでしょう  [未来時] 

 以上から、「だろう/でしょう」は話し手の推量を表す助動詞で、未来を表すわけではなく、したがって未来時制要素でもないことが明らかです、と結論しています。そして、「●動詞の現在形が現在時と未来時を表す」と論じています。しかし、新聞記事で見た通り過去の事柄も現在形で表されます。いわゆる歴史的現在や、「ト書」等は現在形です。黙阿弥作の「弁天小僧」四幕目の稻瀬川勢揃の場の最後は次のようです。

 ト波の音、佃になり、南郷、辧天は花道へ、十三、忠信は東の假花道(あゆみ)へ、駄衛門は捕手の一人を踏まえ、一人を捻ぢ上げ後を見送る。四人は花道をはひる。これをいつぱいにきざみ、よろし                                      ひようし  幕

 つまり、現在形という表現と対象の事象そのものの時間的性質とが直接対応しているわけではないのです。先の例文で著者が時制を判断しているのは、昨日、今頃、明日等によるもので、時制表現による判断ではないのです。

 まず最初の文では、「君は昨日」で話者は観念的に過去に移動し、「事故にあって」と現在形で語られ、次に「さぞ怖かっ」と、現在に戻りそれまでの内容が過去であったことを表現しています。「た」と言っているのは現在なのです。そして、c.では、「洋子は明日」で話者は未来の明日に移動し、「きっと来るだ」と観念的に明日に対峙して現在形で「だ」と「来る」のを断定し、ここから現在に戻り「う」とそれまでの内容が未来の推量であったことを表現しているのです。「だろう」というのは、断定の助動詞「だ」+未来推量の助動詞「う」であり、「でしょう」というのは断定の助動詞「だ」の連用形「で」+未来推量の助動詞「う」なのです。「だろう/でしょう」が助動詞なのではなく、未来、推量を表しているのは助動詞「う」で多義なのです。未来の事は当然未確定であり推量するしかないためこのような表現を取ることになり、英語もまた同様で、この点は後で詳しく見てみましょう。

 新聞記事の所で述べたように、 

  過去現在未来は、属性ではなく、時間的な存在である二者の間あるいは二つのありかたの間の相対的な関係をさす言葉にほかなりません。……過去から現在への対象の変化は、現実そのものの持つ動きです。これを、言語は、話し手自身の観念的な動きによって表現します。ここに、言語における「時」の表現の特徴があるのです。(三浦は『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫 1976.6.30/初出1956.9)) 

 ということです。しかし、この話者の認識を扱えない生成文法や日本語文法では、対象の時間的属性と表現された文の内容を直結し、そこに示された時を表す語である、昨日、今頃、明日等を頼りに文の時制として丸ごと判断するしかないことになります。

 人間のダイナミックな対象―認識―表現の過程的構造を捉えられない言語本質観では、当然ながら日本語も、英語も、その表現を理解することができません。著者の解説を、さらに見てみましょう。■

  
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2015年08月17日

英文法に見るテンス解釈 (1)

   『謎解きの英文法時の表現』久野すすむ・高見健一 ()[くろしお出版(2013/8/10)  

  前回、機能的言語論の時制論について新聞記事を題材に欠陥を明らかにしましたが、当然ながら英文法の時制アスペクトの解明も同様なレベルでしかありません。先に紹介したバーナード コムリー  (), Bernard Comrie (原著), 久保 修三 (翻訳)『テンス』(開拓社 2014/9/19)の通り、典型的には<発話時>を基準として過去・現在・未来を定義しています。これでは、新聞記事一つ解明できないことを前回示しました。今回は首記の著書が「謎解き」を出来ているか否か見てみましょう。本書の著者の一人である久野暲(すすむ)氏は60年代より生成文法により日本語を研究しハーバード大学に渡り『The Structure of the Japanese Language』他、自動翻訳や文法論等多数のを著書を出され、名誉教授でもある88歳の大家として知られています。

 「はしがき」では、「The bus is stopping.」という文は「バスが止まっている」という意味なのでしょうか、と問題提起し次のように記しています。 

 本書は、このような英語の疑問に答え、「時制」と「相」(アスペクト)(動作や状態の完了や継続を表す文法事項)に焦点を当て、「時」の表現に関わる多くの謎を解こうとしたものです。 

 と記されていますが、残念ながら現在の定義も、過去とは何かも、そして「相」(アスペクト)とは何かも解明出来ずに、単に現象や機能の説明に終始しています。機能とは「ある物事に備わっている作用、働き」でしかなく、それは本質の作用、機能であり、明らかにされるべきは本質でなくてはなりません。第2章では「現在形は何を表わすか(1)」と現象を問います。ここでは現在形が現在だけではなく、次のように過去も未来も表すのは、表現としてどのように異なっているのか、どのように説明されるかが問題とされます。言語表現における現在とは何か、何ゆえに過去や未来が表せるのかという本質を問うことは最初から放棄されています。それは、彼らの言語本質観がアプリオリに文として実在するとみなすところから出発する言語実体観でしかないからです。そこからは、言語、表現の本質を問う発想は生まれず、現象や機能を説明するしかありません。文を直接に支えているのは話者の認識ですが、これを扱えない言語論では文と対象を直結するしかなく、表現の過程的構造を取り上げられない論理的必然です。参考までに、「本質」について辞書を見てみましょう。

  大辞林第三版の解説   ほんしつ【本質】

①物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素。 「問題の-を見誤る」

  ②〘哲〙〔ラテン essentia;ドイツ Wesen

   ㋐伝統的には,存在者の何であるかを規定するもの。事物にたまたま付帯する性格に対して,事物の存在にかかわるもの。また,事物が現に実在するということに対して,事物の何であるかということ。

   ㋑ヘーゲルでは,存在から概念に至る弁証法的発展の中間段階。

   ㋒現象学では,本質直観によってとらえられる事象の形相。 


 第1章は<willは「未来時制」か?>と題し、最初に●willと「~だろう/でしょう」が論じられています。

ここでの問題は、次の文の助動詞willや日本語の「~だろう/でしょう」は、未来時を表す未来時制と言えるのかどうかです。 

  aHe will be in New York next year.  [現在時]

    b 彼は来年ニュ-ヨークにいるだろうでしょう [現在時] 

これらの表現が、現在時を表す要素と一緒に次のように用いられるのが指摘されます。 

  aShe will be out now.  [現在時]

    b.彼女は、外出中だろうでしょう [現在時] 

さらに次のように、未来時は動詞の現在形で表すこともできます。 

 a.He leaves for London tomorrow[未来時]

b.彼は明日ロンドンへ出発する。  [未来時] 

<「過去、現在、未来」という3つの時(time)と、それらを表す形、時制(tense)は、どのように対応しているのでしょうか。特に、学校文法(伝統文法)では、willは未来時を表す未来時制であると言われてきましたが、本当にそうなのでしょうか。日本語の「~だろう/でしょう」はどうなのでしょうか。英語や日本語に未来時を表す未来時制はあるのでしょうか。>と問題提起し、<●「~だろう/でしょう」は「推量」の助動詞>と論が進みます。まず、日本語の「~だろう/でしょう」から考えことになるので、次回、著者らの日本語理解の程度を含めじっくり検討することにしましょう。■

  
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2015年07月25日

新聞記事に見る時制表現について

 工藤 真由美著『現代日本語ムード・テンス・アスペクト論 (ひつじ研究叢書(言語編)111)』では時制を次のように定義している。

   <発話時>を基準にして、事象が発話以前に起こったのか否かを義務的に表し分ける文法的カテゴリーが<テンス>である。 

 また、バーナード コムリー  (), Bernard Comrie (原著), 久保 修三 (翻訳)『テンス』(開拓社 :2014/9/19)では、

  ①直示中心、②事象が直示中心より前なのか、後なのか、③事象が位置づけられる直示中心からの時間的距離について議論され、この直示(Deixis)の中心を任意の参照点として確立するためにもっとも典型的なものとして発話状況を上げている。そして、テンスは状況を現在時点と同じ(あるいは現在時点を含んでいる)時間か、現在・の前か、または現在点の後かに位置づける

 としている。いずれも、<発話時>を基準にして、それ以前を単純に過去と定義している。この定義に基づいて今日の新聞記事を検討してみよう。 

 自己ベスト一直線 2020年東京オリンピックまで5年  20157250500分 朝日新聞

 力強い踏み切りで大技 女子高飛び込み・板橋美波(15歳)

  404・20。掲示板に合計得点が表示されと、観客席がどよめい 

 6月に東京辰巳国際水泳場であっ飛び込みの日本室内選手権。女子高飛び込み決勝で、15歳の板橋美波(みなみ)が、日本女子初となる400点超えをマークして優勝し。2012年ロンドン五輪では銀メダル、13年の世界選手権では1位相当の好記録に「思わず、跳びはねてしまっ」。151センチの体をいっぱいに使って喜ん

  兄の影響で小学1年から水泳教室に通い始め。3年のときに飛び込みに誘わ、1カ月間の体験からスタート。走ってプールに飛び込練習が楽しくて夢中になっ。世界選手権銅メダリストの寺内健らを育て馬淵崇英(すうえい)コーチ(51)の指導を受けて才能を伸ば、24日開幕の世界選手権の日本代表に選ばれまでに成長し

  「踏み切力が、他の女子選手に比べてとても強い」と馬淵コーチ。日本水泳連盟の伊藤正明・飛込委員長は「彼女には恐怖心がない」。前宙返り4回半抱え型は、女子では現時点では板橋しかできない大技だ。6月の日本室内選手権でも成功させて96・20点の高得点をたたき出、400点超えにつなげ

  日本は、男女を通じ飛び込みの五輪メダルはない。ときに1日10時間を超え練習で目指すものは。「リオデジャネイロでは決勝に残って入賞できたらうれしい。そして、東京では金メダルを取たい」。力強く答え。(清水寿之)

  この記事では、発話時点は記者(清水寿之)が「自己ベスト一直線…」という記事を書いた時点ということで、これが現在ということになるであろう。そして、上に赤字で表示した時制を示す助動詞が「た」の場合は事象が過去に起こったことを示し、そうでない場合は現在の事象ということになる。しかし、これを現在とすると次の、「■力強い踏み切り…」は現在事象か過去の事象であろうか。この定義では、現在ということになってしまうであろう。それとも動詞は明示されていないので時制は表示されていないということか。この発話事体は記者によるもので、その意味で発話は現在であるが、事象「力強い踏み切り」は明らかに過去であろう。しかし、過去形に記すのであれば「力強い踏み切りで大技(をしめし。)」としなければならない。上記の時制の定義では、もうここで説明不能となってしまうのである。次の文を見てみよう。 

  404・20。掲示板に合計得点が表示されと、観客席がどよめい 

ここでは、「表示され」で現在形になっていて、文末で「どよめい。」と過去形になっている。先の定義では、現在と過去が入り混じることになる。この点はどう解釈されるのだろうか、ここは歴史的現在、あるいはテンスとアスペクトの二元説、あるいは相対時制で直示中心を振り分けることになるしかない。

 これが、教科研文法、西欧屈折語文法という形式主義文法の時制論の実態で、新聞記事一つ満足な説明が出来ないのである。国文法、日本語教育文法なるものも同様である。

 では、言語過程説ではどのように理解されるのであろうか。三浦は『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫 1976.6.30/初出1956.9)の「<助動詞>の役割」の「b 時の表現と現実の時間とのくいちがいの問題」で次のように述べている。

   過去現在未来は、属性ではなく、時間的な存在である二者の間あるいは二つのありかたの間の相対的な関係をさす言葉にほかなりません。……過去から現在への対象の変化は、現実そのものの持つ動きです。これを、言語は、話し手自身の観念的な動きによって表現します。ここに、言語における「時」の表現の特徴があるのです。……

 言語で表現する現在は、現実の現在ばかりでなく、観念的に設定した過去における現在や未来における現在、あるいは運動し変化する対象と行動を共にするかたちでの現在などいろいろなありかたをとりあげています。時制と時は無関係ではないし、また非論理的な表現でもないのです。話し手はその感ずるところを素朴に表現しているにもかかわらず、きわめて合理的であり論理的なものだということを理解しなければなりません。

   これによれば、「力強い踏み切りで大技」と、6月の事象を記者はタイトルで現在形で記しているが、このとき記者は観念的に6月の時点に移行し事象と向き合っているので現在形で記している。これは、事件の記事などでも過去の事象がタイトルで現在形に記され臨場感を齎すのと同じである。これを読む読者もまた、その事象に対峙していることになる。TVで、その場面を見ているのと同じ状況である。そして、記者はそのまま次の「404・20。掲示板に合計得点が表示されと、観客席がどよめい」まで過去のまま事象に対峙しており、ここから記事を書いている現在に戻り、(どよめい)「」と、それまでの事象が過去であったことを表現している。すなわち、過去の助詞と言われる「た」自身は観念的に移動した過去から現在に戻り、実際の生身の記者に合体した現在を表している。そしてまた過去に移行し、そこから戻り「た」と表現している。「兄の影響で小学1年から…通い始め」も過去に戻っており、「た」で現在に戻りる。また、過去に向き合い「3年のときに…」から「夢中になっ」までは過去に移行して現在として対峙しているため現在形で記され、(夢中になっ)「た」で現在に戻っている。そして、会話の引用内はその会話の時点に対峙しているので話者の言葉がそのまま引用されています。最後は、「力強く答え。」と現在に戻り過去を表す「」で締めくくられている。

 ここでは「話し手」は「記者」であるが、三浦の記す通り「話し手はその感ずるところを素朴に表現しているにもかかわらず、きわめて合理的であり論理的なものだということを理解しなければなりません。」ということが良く理解できる。

 このように、文、文章の中での複雑な記者の観念的な運動を形式主義的に―<発話時>を基準にして、事象が発話以前に起こったのか否かを義務的に表し分ける文法的カテゴリーが<テンス>である。―などとする理解がいかに言語事実と相違する誤謬であるかが分かる。■

  
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2015年06月15日

言語の本質とは何か ― 9

   時枝誠記の言語過程説(7) ― 現象学の影響

 フッサールの現象学と言語過程説の関係については余り明らかにされていませんが、詞・辞の入れ子型構造で包む―包まれるという観念論的解釈他がその影響として指摘されています。この現象論に対する取り組みのエピソードが根来司『時枝誠記研究 言語過程説』に紹介されていますので記してみましょう。最初は講演での例です。

 まず昭和四十二年六月七日、これは時枝博士が亡くなられる年であるが、名古屋で鈴木朖の百三十年祭が催され、そこで博士は「『時枝文法』の成立とその源流―鈴木朖と伝統的言語観」と題して講演されている。それがさきの『(講座日本語の文法)第一巻』に収められているが、その中に自分が卒業論文を書く頃、鈴木朖が言語四種論で説いていることがよくわからなかった。というのが朖がことばを分類するのにどういう基準で分類したのか、その真意が的確につかめなかった。けれども、あとになって京都大学教授の山内という哲学者の『現象学叙説』(昭和四年)という書でもって、フッセルの現象学を勉強していたら、だいぶこうじゃないかということが納得がいくようになったといっておられるのである。続いてこの講演はこの朖の考え方を理解するべく手爾葉大概抄までさかのぼっていかれるのであるが、やはり山内博士が『現象学叙説』で説かれるいることがこれを読み解く鍵になるとして、次のように述べていられる。

 先ほど、フッサールのことを申しましたが、フッサールの現象学が、なぜ私がこれを解明する一つの助けになったかと申しますと、これは山内得立先生の説明によって、こういうことを学んだわけなんですが、フッサールは人間の意識を分析いたしまして、まず一つは、人間を取り巻くところの客観の世界、これをフッサールは、対象面、noemaというふうに言っております。ご存じですね。それからもう一つ、その対象面に働きかけるところの人間の働きですね。これを志向作用noesisというふうに言っております。つまり、noema と noesis、 対象面と、それに働きかける志向作用の合体によって、人間の意識というものは成立する。でありますから、たとえばうれしいという感情は、ただうれしいという感情だけじゃなくて、うれしいことの、なにか対象面がある。それは、はっきりしたものであろうとなかろうと、かまわないんですが、なにか対象面があって、それに対する働きかけによって、そこに人間の、うれしいということが出てくる。ですから、現象学の有名な言葉で、<うれしいというのは、うれしきことに対するうれしいことである>というふうな説明がありますが、そういうことなんですね。つまり、noema の表現が、さっき言いました「詞」の表現、noesis の表現が「手爾呼波」と、こういうふうに、一応の説明ができると思うんです。

 用語もまた現象学からのものであることが分かります。さらに根来氏は昭和十三年以降の論文では「現象学的なものの比重がだいぶ軽くなっていくのである」として、「それはなぜであろうか」と問い次のエピソ―ソドが紹介されている。

 
 私はいましがた時枝誠記博士がある時期から現象学にあまり興味を示されなくなったといったが、、そこで思い浮かぶのは時枝博士の京城大学での上司であった高木市之助博士がものされた「時枝さんの思い出」(国文学四十七年三月、臨時増刊)という追悼文である。これは活字になったのがすでに時枝博士が逝去されて何年もたっていたのと、これが臨時増刊敬語ハンドブックに載ったためにあまり他人に知られない文章のようである。これを読んでいくと、次に引用するような時枝博士と現象学に関して衝撃的なことがわかるのである。

 それについて思いだされるのは時枝さんが教授時代の或る日のこと、突如私の宅を訪れ、京城大学を辞して京都大学へ聴講に行きたいと言出されたことである。あっけにとられている私の前で時枝さんが語られた理由は、「自分の国語学は現象学を必要とする段階に差しかかったが、自分はこの方面の知識に比較的弱いので、今自分が信頼する××教授の許で勉強したい。」というにあった。これはつまり時枝さんにとって、自分の学問の操守の前には、大学教授やそれに付随する一切が魅力を喪失したことに他ならなかったのである。
 私が時枝さんのこの決意を翻えさせるためにどんな苦労をしたかについては、当時このことに協力して頂いた麻生さんが知っていて下さると思うが、常識的に言って、大学教授の職というものは自分の勉強のために犠牲しなければならないほど窮屈なものとはおもわれなかったので、私達は時枝さんの辞職が京城大学の講座をどんなに窮地に陥れるかについて百方口説いて結局時枝さんを思い止まらせることに成功はしたが、時枝さんにとってはこの断念がどんなに不本意なものであったか。時枝さんの常識外れの、国語学に対する操守の前に屈服しつつも、時枝さんにこの卑俗な常識を護って貰うためにのみ私達は働かなければならなかったのである。
 これは時枝博士の学問的生一本さを証する例として認められるのであるが、時枝博士自身、京城時代のある日高木博士邸を訪れて現象学を勉強するべく、京城大学教授を辞して京都大学に聴講に行きたいと申し出たなど、学問的自叙伝ともいえる『国語学への道』にもしるされていない。ここに時枝博士がつきたいという××教授が京都学派でも体系的理論家として知られていた山内得立博士であることはいうまでもない。山内博士は明治二十三年生まれで時枝博士より十歳年長であり、あのヨーロッパ哲学によって学んだ現象学の方法によって「いき」を分析した九鬼周造博士と共に、西洋哲学を講じられていた。ちなみに博士は昭和五十七年九月十九日に九十二歳で不帰の客となられたが、京都哲学の最長老であった。とにかく高木博士はさきの文章で京城大学にこのままいるよう口説いて時枝博士を思い止まらせることに成功したと書かれているのであるが、それが昭和何年頃のことか明らかでない。それで推測するよりほかないが、高木博士が九州大学に転じられたのが昭和十四年であり、時枝博士の学問の進度から推して、昭和十年過ぎの出来事であろうと思われる。

 いかにも時枝らしいエピソ―ソドであるが、現象学に助けを求めるのはその後も続いていると思える。■  
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2015年06月14日

言語の本質とは何か ― 8

   時枝誠記の言語過程説(6) ― 留学戻りから源氏物語読解へ

 言語は表現の一種であるという時枝の卒業論文での論究から、その後京城帝大に赴任し一年半のヨーロッパ留学による言語学の実情の見聞により、

 国語学の問題や方法は、何にも、西洋言語学のそれのみを、追う必要はないのではなかろうか。それよりも国語の事実に直面して、その中に問題を求め、方法を考えるべきではなかろうか。西洋言語学の問題や方法を移して、以て国語学の規範とした啓蒙時代は既に過ぎ去ったのではなかろうか。

との自覚に達するところまでを見てきました。留学より戻ったのが昭和4年(1929)で、先の自覚について次のような理論的根拠を見出している。


 (一)国語学の方法及び問題点を、西洋言語学のそれを離れて、国語自体の現象の中に求めることは、先進科学の方法問題を無視して、唯我独尊を主張することではなくして、言語学の立脚する真の科学的精神に忠実であることであり、この精神を生かすことである。言語学の皮相な結論にのみ追随することが言語学に忠実である所以ではない。こ々に国語学と言語学との関係を明らかにすることができると同時に、科学的というには未完成な明治以前の国語研究を、今日以後の国語学の出発点とすると根拠をも理論づけることが出来る。それは単なる日本的言語学の樹立というような偏狭な態度を意味するのではなく、寧ろそこにこそ、国語学が言語学の一翼を負担する真の意義が生ずる。

 (二)学問研究の根本的態度は、方法論の穿鑿よりも、先ず対象に対する凝視と沈潜でなければならないということ。言語学の方法を法に忠実であろうとするならば、それが教える理論や方法を一先ず措いて、対象を凝視し沈潜することでなければならない。この信念に基づき、これを実行に移すため昭和五年四月の新学年の講義として「漢字漢語の輸入に基づく国語学上の諸問題」という題目を掲げること々した。

 この講義案は省略しますが、「究極の目的は、これによって国語史の特質を明らかにすることにあったのである。」と記しています。昭和十九年には文部省の助成金の申請までして研究を進めますが時局の影響もありわずかに十九年六月に総論的な発表で打ち切ります。ここには自然科学的という見せかけではなく、「真の科学的精神に忠実」であり、「この精神を生かす」という弁証法的思考に基づき「対象を凝視し沈潜する」姿勢が宣言されています。現在の外国の言語学に依拠することこそ学問的という非自立的な発想とは根本的に異なっています。

 他方で、「言語意識の発達、或いは言語に対する自覚ということは、少なくとも我が国に於いては、主として古典講読や解釈の結論であり、その副産物であって、国語学と古典解釈の密接不離な関係を思えば、明治以前に於ける国語研究の実際は、これら古典についての購読や解釈と、それの結論である国語理論とを相関的に観察してこそ、始めて国語研究の真相に触れることが出来るのである。そういう意味に於いて私の国語学研究史は甚だしく片手落ちであった。もっと私は国語そのものを凝視しなければならない。」との反省の基に、「昭和五年の春」を迎えたならば、我が古典の随一であり、難解の評のある源氏物語を読み始めようと決意した。」のです。そして、三年余りの日時を費やし、昭和八年の三月に読了しています。さらに、次のような地点に達します。

 この読解の仕事を通して、私は再度転じて私の国語学史研究に新しい立場を加えることの必要性を感ずるに至った(このことは更に別項に述べること々した)。同時に国語学史の研究は、単に過去への懐古的興味を以てなされるものでなく、将来の国語学建設への重要な足場となるべきものであることをはっきりと意識するようになった。古人の国語に対する自覚の最終点が、実に我我の国語意識の出発転であるべきこと。現在及将来の国語学の建設は、古人の国語研究を乗り越える処に始められるべきことが痛感せられるに至った。そしてその間他方に於いて、私は絶えず、私の国語研究の最初に予想せられた、言語は心的内容の表現過程そのものであるという、言語に対する一つの本質観を実証することを忘れなかった。源氏物語の読解は、私の今までの国語学史研究に活を入れるものであると同時に、国語学史より国語の特質の闡明への一大通路を開拓すべきものであることを信ずるに至って、私は此の二年間従事してきた「漢字漢語の輸入に基づく国語学上の諸問題」の講義をいったん打切り、源氏物語の演習を大学の教壇で開始することの計画を立てた。爾来私は東京帝大へ転任するに至るまで約十幾年間、殆ど毎年「中古語」研究の題下に専ら源氏物語の読解を継続することとしたのである。後に述べる国語学言論の理論の内容をなすものは、専らこの京城帝大に於ける中古語研究に於ける源氏物語読解の産物であったと云ってよい。

 この京城帝大に於ける研究過程で、フッサールの精神現象学を必要とする段階に差しかかったという時期があり、そのことを証する記事がありますが、次回はそれを紹介します。
 今回の引用は時枝誠記『国語研究法』(昭和二十二年九月三十日初版、三省堂)によりました。引用に当たっては旧漢字、仮名遣いを改めています。■  
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2015年05月27日

山田孝雄(やまだ よしお)の<助動詞>「複語尾」説 5

    <動詞>の陳述作用論による誤謬の展開と山田文法の意義

 「複語尾」なる誤りの根源は属性表現である<動詞>が陳述を担うという誤りから生まれたものですが、この<動詞>陳述説が生み出す誤りはそれだけにはとどまりません。先に挙げた一語文、体現止め、喚体の文等で陳述を担う語がなくなってしまうわけですが、感動詞の場合、

  そう■ね。

であり、客体的表現だけの、

  人がいる■。

も、「いる」が陳述の表現を表していることにせざるを得なくなります。つまり、内容と形式を無理やり一致させることになります。時枝の零記号は、内容と形式との間に矛盾が存在することを認め、乖離しうることを認めることに他なりません。形式論理という形而上学にしがみついていては言語の事実を解釈することは出来ないことを示しています。さらに、

  a. 本がある■。
  b. 本である■。

の場合、時枝はa.は存在を表す<動詞>ですがb.の「ある」は判断の<助動詞>で属性表現とは性格の異なる辞であることを指摘しています。つまり、詞から辞へ転成したものと見なければなりません。ところが、山田は「ある」を存在の属性と陳述の兼備だけではなく、判断単独で使う場合もあると解釈し、b.の「ある」を存在詞と名付けています。さらに、イ形容詞、ナ形容詞、形容動詞の問題へ発展していきますが、それでも山田文法から引き継ぐべき点は多く、現在再評価の動きがあります。が、残念ながら本来正すべき点を評価し、受け取るべき遺産を評価できないという逆立ちした状況にあります。釘貫亨著『「国語学」の形成と水脈』(ひつじ研究叢書<言語>編 第113巻 2013.12)や『山田文法の現代的意義』(斎藤倫明・大木一夫編:ひつじ書房 2010/12/24)等もそうした書です。

 参考までに、今から40年前の1975.2月刊の雑誌『試行』に発表された三浦つとむ稿「日本語のあいのこ的構造」から山田文法について記された一部を転載しておきます。


 山田孝雄の文法論には理論的な弱点がある。一語として扱うべき<助動詞>を語尾と解釈して<複語尾>とよんだり、<動詞>の「ある」と<助動詞>の「ある」を一括して<存在詞>とよんで<助動詞>の「だ」や「です」もここに入れたり、<形式名詞>の「の」を<格助詞>と解釈したり、訂正しなければならぬところが多い。それにも拘らず彼の問題意識は抜群であるし、それらは必ずしも後の学者に受けつがれていないのである。時枝誠記は山田の誤りを是正する仕事で大きな成果をあげたけれども、提出されている問題を受けとめることができずに山田から後退しているところもいろいろある。それゆえ、山田の文法論を理解できずに骨董扱いにすることには、私は反対である。
 欧米の言語学者あるいは左翼的哲学者の言語論は科学的・革新的で、国語学者の言語論は非科学的・保守的だという偏見も、まだ根強いようである。左翼的な学者や教科研文法を支持する教師にとって、皇国イデオロギーを鼓吹した国語学者の著書などは科学的精神とは無縁のものだと思えるかもしれない。山田が明治四十一年(一九〇八年)に公刊した大著『日本文法論』の序論をみよう。

 凡、学問の成るは一朝一夕の故にあらず。必、其の由って来る所あるべし。而して其の一学説起るや、此れが短所を見て、茲に反対説生じ、更に、二者の総合説生じ、又反対生じとようにかの「ヘーゲル」の説きけむ弁証法の如き順序を以て進歩するものならむ。さても人の心の構造は一なり。人の考へ出すこと、多少精粗の差こそあれ、大体に於いてはしかく背違すべきものにあらず。今若学説の沿革を究めずして、直に自家の説を述べむか、時に或いは自家の創見なりと負めるものは既に幾十年の昔に古人が道破せしものなるをき々て呆然たることなからむや。これを以て、吾人は主として主要なる学説を歴史的に略説し、其の取るべきは取り、誤れるものは其の過を復せざらむ注意として、しかも之を自家立脚地の予示とせり。諺にいはずや、羅馬は一日にてはならざりきと。吾人がこの論も又先哲諸氏の苦心経営の結果なり。苦心惨憺の経営になりし先哲諸氏の説を何の容赦もなく攻撃追求するは頗る礼を欠くに似たりといえども、学問は交際によりて左右せらるべきものにあらず。また学問のことは師にだに仮さず。況んや先哲の説を補い、その説を訂すは、これ即進歩の宿る所にして、しかも先哲の本願ならずや。吾人は先哲の人格に対して満腔の熱誠を以て尊敬の意を表す。然れども学説の非に至りては毫末も寛仮せざるべし。それ学問は天下の共に議すべき所、一人の私すべきものにあらず。
 
 これが学者の態度であって、言語を解釈するだけのホコトン哲学者たちは学者の名に値しない。さらに山田のこの著書の巻頭には、本居宣長の『玉かつま』のことばが掲げてある。

 吾にしたがいて物まなばむともがらも、わが後に、又よきかむがへのいできたらむにはかならずわが説にななづみそ。わがあしきゆゑをいひてよき考えをひろめよ。すべておのが人ををしふるは道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも道をあきらかにせむぞ吾を用ふるには有ける。道を思はでいたづらにわれをたふとまんはわが心にあらざるぞかし。

 『毛沢東選集』にはこのようなことばがない。毛沢東主義を批判すると「階級敵」「反革命分子」として粛清される。日本の国学者の学問する態度は、中国の自称マルクス主義者よりも科学的であり、マルクス主義の精神に近かった。


  尾上圭介の誤りについては、「語列の意味と文の意味」という昭和五十二年発表の論文で詳細に検討することにし、複語尾説はここまでにして、時枝の『国語学原論』へ至る道に戻ることにしましょう。■  
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2015年05月19日

山田孝雄(やまだ よしお)の<助動詞>「複語尾」説 4

  「陳述の力」はどこにあるのか?

  山田の言わんとするのは「花が咲く。」という文で、<動詞>の「咲く」が花の属性である「咲く」という運動概念と同時に、この文としての陳述、文に示された認識としての統一の作用も又、というより主に統一の作用こそを<動詞>「咲く」が担っているということです。従って「花が咲こう。」と推量の助動詞が累加された場合は、「咲く」の「く」→「こ(う)」という活用が陳述を担い、さらに複語尾の「う」が推量の陳述を担うといっているわけです。

 そうすると、一語文「火事!」や「花が綺麗。」「彼真っ青!」などでも陳述は存在すると見なすしかなく、一体どの語が陳述をになっているのかという事になります。また芭蕉の句か否かが疑われている、「奈良七重七堂伽藍八重ざくら」のように体言(名詞)だけを繋げた句が感動を齎すのは当然「陳述の力」に因る訳ですが、この場合「陳述の力」はどの語が担っているのかということになります。
  尾上圭介が山田の喚体の議論を、名詞一語文成立の議論として引き受けた『文法と意味〈1〉』では体言、即ち名詞が受け持つという議論にならざるをえません。

 この誤りを明らかにしたのが先の三浦の論で、「陳述の力」と称するものを認識構造として検討すれば、

  「陳述の力」なるものは概念の発展であるが概念とは区別されるところの認識のありかた、すなわち判断にほかならない、

ということです。「花が咲か―なく―あっ―た―らしい―です。」というのは、山田流に言えば「複語尾」が「その活用形より更に複語尾を分出せしめて種々に説明陳述をなすものなり。」ということになります。「文が用言で終わるときには形式と内容との間に矛盾が存在している」のですが、矛盾を認められない形而上学的発想ではこれを容認できないことになります。文が用言で終わる時だけでなく、上に見たように体言止め、<形容詞>終止形(<形容動詞の語幹(正しくは静詞)>)での文終止も同様です。この矛盾を正しく認め時枝は「陳述の本質を考へて見れば、それは客体的なものではなく、全く主体的な肯定判断そのものの表現であるから、明かにそれは辞と共通したものをもつてゐる」として零記号(■)を導入したわけです。従って、先の文は「花が咲く■。」と見なければなりません。

  アプリオリな言語の実在を主張する言語実体観では零記号を認めることができず、名詞やら活用形やら感動詞やら間投詞に「陳述の力」をもっていくしかなくなります。金田一や尾上圭介や渡辺實らすべてが論理的必然としてそのようになってしまいます。生成文法もまた、その矛盾に行きあたり方針転換を繰り返すことになります。

  金田一の「不変化助動詞の本質―主観的表現と客観的表現の別について―」では「ぼくは日本人だ。」の「だ」を「客観的な表現を表すものと思う。…ちっとも判断の気持ちは働いていない。」と記しています。この「だ」は、「ぼくは日本人■。」という文の判断の■(零記号)が「だ」と表現されたたものに他なりませんが、主体的表現を主観的表現としか理解できない金田一としては零記号を認めず、判断の存在しない客観的に述べている文ということになります。

 ここまでくれば、最初に問題にしたブログ「killhiguchiのお友達を作ろう」の「現代日本語において、複語尾の終止法独自の用法を、喚体メカニズムで説明する可能性について」なる論がどのようなものかは説明するまでもないかと思います。
 
  このような山田の「複語尾」なる名称は受け入れられませんでしたが、西欧屈折語文法に頼る現在の日本語文法は三上章から教科研文法、寺村文法、記述文法、渡辺文法、尾上文法と陰に陽に<助動詞>語尾説を採り入れざるをえなくなる論理的必然をもっています。■
  
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2015年05月16日

山田孝雄(やまだ よしお)の<助動詞>「複語尾」説 3

  「陳述の力」と活用と複語尾

  三浦の論を見る前に、これまで説いてきたところをもう少し詳しく検討してみましょう。
 まず、山田の言う「陳述の力」について考えてみましょう。これを正しく理解出来るか否かが、言語本質論の分かれ目となります。
 山田は「用言の用言たる特徴は実にその陳述の作用をあらはす点にあり。」としているように、<用言>という語(言葉)が「陳述の作用をあらはす」つまり、「表わして」いるのであり、「陳述の作用」を語(言葉)が生み出すとは言っていません。「この作用は人間の思想の統一作用」というのですから、人間の生み出すものと、この点は正しくとらえています。この点こそ、国学という和歌の解釈および創作という実践に裏打ちされた学問の伝統を引く山田の文法論の強み、健全性があるのですが、言語実体論をとる現在の記述文法では語自体が表すかの山田説との相性がよく引っ張りだされることとなります。これまで見て来たように、「言語を表現の一種」と看破した時枝の立場からは当然、人間の生み出したものとなり<助動詞>一品詞説となります。

 次に「凡そ人の思想を発表する機関として個々の概念の必要なることはいふを俟たざるところ」というのは、<体言>が概念であり、<用言>もまた概念であるということになります。この概念とは実体の概念<名詞>であり、その作用を表す属性の概念<動詞><形容詞>です。

 しかし「個々の概念のみ存してもこれらを統一判定する作用なくば、思想の完全なる結成となることなし。」と言う通り「個々の概念」とは認識の対象の概念ですが、「陳述の力」とは人間の認識のあり方であり、「かく統一判定する作用を言語にあらはしたるもの即ち用言なり。」と言うように、これを表したものが<用言>であると主張しているわけです。

 つまり、<用言>の本質は「陳述の力」を表現したものというわけですが、概念も又表しているわけで、「人間の対象の概念」と「人間自身の、かく統一判定する作用」という二つの全く異質なものの表現を<用言>が担うことになります。このため、「国語の動詞はその活用形にて種々の陳述をなすものなるが」と「活用形」が「種々の陳述をなす」ことにならざるを得なくなります。

 そして「それらのみにては、その属性の表現の状態、又は陳述の委曲なる点等をあらはし得ざることあるが故にさる時に、その活用形より更に複語尾を分出せしめて種々に説明陳述をなすものなり。」というように、「活用」だけでは表し切れない「その属性の表現の状態、又は陳述の委曲なる点等」を表すのが「複語尾」であり、「その活用形より更に複語尾を分出せしめて種々に説明陳述をなすものなり。」ということになります。しかし「その活用形より更に複語尾を分出せしめ」る主体は何かが問題です。これは「人間の思想の統一作用」と解するしかないでしょうね。なぜ「分出」なのかの論理性はありません。しいて言えば、語尾に独立性がなく、かつ接尾語のように何にでも付くというよな恣意性ではなく動詞の活用との必然的密着性に着目したということになります。

 先の、山田の論述の過程に一箇所おかしな点がありますが、気付かれたでしょうか。
 <用言>を<動詞><形容詞>として論じて来たのですが、最初に見て来た通りどちらも活用をもっています。第1回の引用で複語尾について述べるところで「「国語の動詞はその活用形にて種々の陳述をなすものなるが、それらのみにては」と「国語の動詞は」と<形容詞>は理由もなく除外され、「複語尾」を持たないことにされてしまいます。ここにも山田の論の恣意的な論理の非一貫性がみられます。これらの理由で「複語尾説」そのものは他の<助動詞>一品詞説をとる人々には受け入れられませんでした。
 
 ざっと見ても、こんな問題がありますが三浦の言語過程説の立場からの批判を聞いてみましょう。言語過程説の論理的展開はこれからですが、必要な点は説明しながら論をみてみましょう。「言語は表現の一種」であることを念頭におく必要があります。

 
 用言はそのつぎに助動詞が加えられると語形が変化するけれども、これは形式上の変化で何ら内容の変化を伴う物ではない。いわゆる活用の部分は何ら陳述の表現を意味するものではない。これは山田が「陳述の力」と称するものを、認識構造として理解すれば明かになる。彼は、概念を統一する作用そのものを陳述の作用と解釈した。しかし、ヘーゲルもいうように、概念以外に概念を統一する作用があるのではなく概念そのものの発展によって統一が行われるのであり、「概念の自己自身による規定作用」を「判断作用」とよぶ(ヘーゲル『大論理学』)のであるから、山田の、「陳述の力」なるものは概念の発展であるが概念とは区別されるところの認識のありかた、すなわち判断にほかならないのである。それゆえ複語尾の問題は、用言のあとに接尾語とか判断辞とか思われるものが多数加えられているときに、それらはすべて用言の内部の問題であり属性の表現といっしょに一語として扱うべきか否かの問題でもあることになる。
 時枝は複語尾説をとらず、判断辞を一語と認めている。そしてそれの欠けているものに「零(ゼロ)記号」を設定する。「陳述の存在といふこと自体は疑ふことの出来ない事実であって、若し陳述が表現されてゐないとしたならば、『水流る』は、『水』『流る』の単なる単語の羅列に過ぎないこととなる。そして陳述の本質を考へて見れば、それは客体的なものではなく、全く主体的な肯定判断そのものの表現であるから、明かにそれは辞と共通したものをもつてゐるのである。」
 「敬辞の加わつたものから逆推して行くならば、『咲くか』(―ね、よ、さ、わ)、『高いか』(―同上)『犬か』(―同上)等は皆零記号の判断辞のあるものであると考えることに合理性を認めることが出来るのである。」(時枝誠記『国語学原論』)
 判断は対象の属性認識とは区別しなければならないが、用言は対象の属性の認識を表現するにとどまっている。それゆえ、文が用言で終わるときには形式と内容との間に矛盾が存在しているのであって、内容としては判断が存在していながら形式には示されていないものと見なければならない。「水流る」にあっては、肯定判断そのものの表現は省略されているのであって、用言が文としての完結を示す形態をとっているために、この形態から判断の存在を推定することはできるが、この形態に肯定判断そのものが表現されていると見ることはできない。しかし山田は形式と内容を強引に一致させようとする。形而上学的に、内容として存在しているからには表現されていなければならないはずだときめてかかっている。それゆえ用言は属性と陳述とを「共に」あらわすものと解釈し、たとえ客体的表現としての性格をもたずに主体的表現としての性格を持つものに転化しても、これを転化とは認めずに、単に属性の表現を失ったものでむしろ用言の特徴を発揮したものと解釈する。


 最後の文は次に例がしめされますが、まずここまでを考えてみましょう。この内容が素直に理解出来ればほぼ言語過程説を理解できたことになりますが、残念ながら「零(ゼロ)記号」を認められない橋本進吉から、橋本文法を信頼し服部四郎に教えを受けた金田一春彦や、その流れを汲む南富士男や國廣哲彌、渡辺實、尾上圭介や近藤泰弘といった人々にはこれが全く理解できません。
 その元となっているのが金田一春彦の「不変化助動詞の本質―主観的表現と客観的表現の別について―」(『国語国文』第22巻2-3号/1953年)および「同、再論―時枝博士・水谷氏・に両家答えて―」という論文です。
 1953年(昭和28年)に発表されたこの論文は未だに多くの、語や文の機能を説く論文の拠り所とされています。
 その内容を検討するのは、ずっと後になりますが次は上の内容をかみ砕きながら金田一の論文の一旦にも触れてみましょう。■
  
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2015年05月12日

山田孝雄(やまだ よしお)の<助動詞>「複語尾」説 2

  <体言>の「陳述の力」と「属性」

 先に<用言>を<動詞><形容詞>としましたが、山田が「陳述の力」と「属性」について論じていますので、これらの概念について説明するためにもまず、<体言><用言>の区分について述べましょう。山田は次のように主張しています。

 「元来体といふ語は用に対する語にして用は作用現象などの義、体はそれに基づく実体をさすものにして、支那の儒学特に宋学の盛に用ゐたる述語にして、それの基づく所は仏教にて体相用の三を相待的に用ゐしにあるが如し。これらの体は英語にていふ Substance の義なり。語の分類上にては哲学にていふが如き厳密の実体といふ程の意義にはあらざれども、かの形のみを見て、語尾変化なき語の一名なりとする如きは当らざること勿論なり。」

 つまり実体を表わす語を<体言>とし、その実体が及ぼす作用そのものや、作用の現象を表わす語を<用言>と名付けたわけで、実体を表わす語はすなわち<名詞>であり、その作用を表わすのが<動詞><形容詞>ということになります。そして、<名詞>には活用がなく、<動詞><形容詞>には活用があります。そのため、今度は体・用の区分の基準として内容だけではなく活用があるか、ないかという語形変化も基準に採り入れることになり混乱が始まります。先の学校文法の定義でも活用の有無が品詞分類の基準になっていますから、これを無視することができません。さらに実体を把握し表現する<名詞>には活用はありませんが、実体以外を表わす語にも形容動詞の語幹といわれる「きれい」「おだやか」「静か」「親切」には語形変化がなく体用の区分が当て嵌まりません。こうした問題がありに二文法も一筋縄ではいきません。

 しかし、ここでは<体言>を<名詞>、<用言>を<動詞><形容詞>と考えて先に進めましょう。そうすると<体言>である<名詞>が実体を表わし、<用言>である<動詞><形容詞>はその実体の属性を表わしていることが判ります。つまり、砂糖は甘く、川は流れ、人が走り、子供は学校へ行くというような関係になります。つまり、「川」「人」「子供」「学校」は実体としての<名詞>であり、「甘い」「流れる」「走る」「行く」が動詞として属性を表わしていることになります。

ところが、「個々の概念の必要なることはいふを俟たざるところなれど、個々の概念のみ存してもこれらを統一判定する作用なくば、思想の完全なる結成となることなし。かく統一判定する作用を言語にあらはしたるもの即ち用言なり」と「統一判定する作用」である「陳述の力」を<用言>である<形容詞>「甘い」や<動詞>「流れる」「走る」「行く」が「属性」と共に表わしていると主張するわけです。

 そのことは、三浦が説明しているように、
 
 「甘い」についていえば、「甘」という対象のの属性の表現はどれにも共通していてこれが用言には特有ではないと見、この属性を除いたところに用言の本質がある

 とし、<「甘」の部分を除いた残り、すなわち活用の部分が「陳述の作用をあらはす」ことにならないわけにはいかない。>ことになります。さらに、用言の本質は対象の属性をとらえた客体的表現ではないことになります。この「客体的表現」というのは時枝が「概念過程を含む形式で表現の素材を、一旦客体化し、概念化」した単語として「概念語」又は「詞」と名付け、三浦が「話し手が対象を概念として捉えて表現した語」と定義し、「客体的表現」と名付けたものです。

 従って、「国語の動詞はその活用形にて種々の陳述をなすもの」となるしかありません。つまり、先に記した文で「甘く」が「甘い」になると「く」「い」が「陳述の力」を表わすことになるしかありません。<動詞>では、「流れ」が「「流れる」になるように「れ」「れる」又は、「る」が「陳述の作用をあらはす」という奇妙なことになります。もっとも、言語実体論にたつ現代の言語学者や国語学者、先の記述文法を奉ずる人たちにとっては奇妙ではないかもしれません。

 さらに<動詞>+<助動詞>である「走ろう」「走るだろう」「行こう」「食べよう」の<助動詞>「」「だろう」「よう」が「その属性の表現の状態、又は陳述の委曲なる点等をあらはし得ざることあるが故にさる時に、その活用形より更に複語尾を分出せしめて種々に説明陳述をなすものなり。」と「複語尾」とされます。このようにして、

 「複語尾は用言の語尾の複雑に発達せるものにして、形体上用言の一部とみるべきものにして、いつも用言の或る活用形に密着して離れず、中間に他の語を容るることを許さず常に連続せる一体をなすものなり。」

 ということになります。これに対する、三浦の指摘を次に見ましょう。■  
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2015年05月12日

山田孝雄(やまだ よしお)の<助動詞>「複語尾」説 1

 一般にいわれる<助動詞>を<用言>の語尾の複雑に発達した「複語尾」とする山田の説を確認するために、先ずその用言説からみなければなりません。

 少し横道に逸れますが、文法を習い始めた最初にこの<体言><用言>という区分が出てきて悩んでしまいました。
 <名詞><動詞><形容詞><助詞>と言う品詞分類と、<体言><用言>という区分が出てきてのこの対応関係が良く理解できませんでした。この区分も学者の間で見解が分かれています。学校文法では、自立語で主語となるものが<体言>で<名詞>と同じ。<用言>は自立語で活用のあるもの―述語となるものが用言で、<動詞><形容詞><形容動詞>の三種類に分かれます。この分類では、<副詞>、<連体詞>や<助詞>はこれらの分類に入らず中に浮いてしまいます。
 これは自立、付属、活用という、形式と機能による品詞分類と本来は語の内容上の分類であった<体言><用言>という分類が対応せず、有効性をもたないためなのです。この品詞分類の非科学性に疑問を持ち、国語文法の誤りに気付いたことこそが、拙ブロガーを言語過程説に向かわしめたもので、ようやくその内容の理解に見通しが建ち本ブログを始めたものです。

 国語文法を学んだ多くの人が疑問を持ち、国学の伝統を引く国語文法は非科学的で英語文法や欧米言語学の方法論を取り入れれば良いのではないか、自然科学の方法論こそが適用されるべきという発想にたち、構造主義言語学やチョムスキー言語論、認知言語学に飛び付いているのが現在の言語学や国語学の現状であるといえます。

 それは明治の東京帝国大学の初代国語学教授であった上田万年や、その後を継いだ橋本進吉が言語学の出身であることにも現れており歴史は繰り返すということを物語っています。
 この欧米崇拝ではもはや立ち行かない事に気付いたのが時枝誠記であり、あくまで言語という対象の本質を求めて「言語は表現の一種である」というところに達したのが、これまで辿って来たところです。

 ぼやきが長くなりましたが「複語尾」に戻り、山田孝雄はあくまで形式ではなく内容による分類を主張し、それは正統なのですが、如何せん対応性がないので、それを貫き通すことはできません。その話は又別途にし、ここでは動詞と形容詞となります。<形容動詞>と言う品詞もまた問題の品詞で、これもまた別途論じなければならない大きな問題ですが<形容動詞>と言う品詞は誤りです。

 さて三浦つとむは、『言語過程説の展開』(①)の「第四章 言語表現の過程的構造(その二)」の【二 「てにをは」研究の問題】や、『日本語の文法』(②)の「第八章 <助動詞>の問題をめぐる諸問題」で論じていますので、ここから必要な部分を引用し私なりに説明してみたいと思います。

 まずはじめに山田から、用言についての説明を聞くことにしよう。彼は用言が「陳述の力」と「属性」とその両者を表現しているものと解釈するのである。
 「用言の用言たる特徴は実にその陳述の作用をあらはす点にあり。この作用は人間の思想の統一作用にして、論理学の語をかりていへばその主位にたつ概念と賓位に立つ概念との異同を明らかにしてこれを適当に結合する作用なり。凡そ人の思想を発表する機関として個々の概念の必要なることはいふを俟たざるところなれど、個々の概念のみ存してもこれらを統一判定する作用なくば、思想の完全なる結成となることなし。かく統一判定する作用を言語にあらはしたるもの即ち用言なり。この点より見れば、用言はすべての品詞中最も重要なるものにして談話文章の組み立てもこれが存在によりはじめてその目的を達するを得べきものたり。而してその用言はその陳述の力と共に種々の属性をあらわせるもの大多数を占むれども、もとその属性の存在は用言の特徴と目するべきものにあらざることは既に上に述べたる所なり。この故に用言特有の現象は実にこの陳述の力に存するを知るべし。されば、その属性甚だ汎く、漠然として属性の捉ふべきものなく、又は殆ど全く属性の認むべからざる場合にても陳述の力という用言特有の現象を有するものは用言たる資格十分なりといわざるべからず。」

 山田の考え方は、たとえば「甘み」は名詞で「甘そう」は副詞で「甘い」は用言であるから、「甘」という対象のの属性の表現はどれにも共通していてこれが用言には特有ではないと見、この属性を除いたところに用言の本質があるとするのである。これでは、用言の本質は対象の属性をとらえた客体的表現ではなくなってしまう。そして、「甘」の部分を除いた残り、すなわち活用の部分が「陳述の作用をあらはす」ことにならないわけにはいかない。
 「国語の動詞はその活用形にて種々の陳述をなすものなるが、それらのみにては、その属性の表現の状態、又は陳述の委曲なる点等をあらはし得ざることあるが故にさる時に、その活用形より更に複語尾を分出せしめて種々に説明陳述をなすものなり。か々る場合の複語尾に該当するものは西洋文典にいふ所の時、態、法等の助動詞と称せらる々ものなり。西洋の動詞にはそれら時、態、法等の区別を助動詞にて示す外になほ不定形 infinitive 分詞 Paticiple 名動詞 gerund などと称する区別あり。かれらの動詞は此の如く複雑なるものなり。」

 すなわち一般に日本語の<助動詞>とよばれているのは、山田によると用言の語尾の複雑に発達した「複語尾」であり、用言の「内部の形態上の変化」にすぎないのである。

 「これ用言の語尾のみにあらわる々ものにして、その用言の作用又は陳述の委曲を尽さしむる用をなすに止まれるを以て用言の内部の形態状の変化と見るを穏当なりとすべき性質を有せり、されば、吾人はこれを語尾の複雑に発達せるものにして語尾の再び分出せるものなりといふ意を以て仮りにかく名づけたるなり。」


 今回は、ここまでにし次に少し説明を加えましょう。■

 注:①『言語過程説の展開 ― 三浦つとむ選集3』〔勁草書房/1983.8.10〕
      『認識と言語の理論〈第2部〉』〔勁草書房; 新装版 (2002/06))
     ②『日本語の文法』〔勁草書房; 新装版 (1998/5/25)〕
  
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2015年05月09日

現代言語学批判 1-2

  『シリーズ 日本語史』(金水敏 他編:岩波書店刊)の言語観 2

 この巻頭言では、まず「日本語史」への問いを「日本語(国語)とは何か」に、次いで「言語とは何か」と問い、答えは総て「多様・多岐」と答えるのみで何ら回答がなされていません。時枝は国語学を論ずるに当たってまず、「言語の本質とは何か」について「この問題を解決せずしては、私は今や一歩も末節の探求に進み入ることを許されない。」と考えたのは見て来た通りです。
 
  これに比し著者らは「この問題を解決せず」に種々の現象や、機能を列記することで満足しています。取上げたのはシリーズ全体の巻頭言ですが、本論で論じられているのではと読み進んでも全く問題にされていません。

 最初に、<「言語」を「言語の知識」という側面から見ることができる>などと心理学的接近法が取上げられていますが、これは現在のロナルド・W・ラネカーやジョージ レイコフらが唱える第2世代の認知言語学の発想でしかありません。ラネカーは『認知文法論序説』(山梨正明 監訳 研究社 2011年5月23日初版発行)の「第2章 概念意味論」の「2.1.1 意味は頭の中に存在するか」で「意味は、言語表現を産出し理解する話者の心の中に存在している。このほかに意味のありかを見つけるのは難しいだろう。」と意味が、産出する話者から理解する話者へ実体として飛んでいくかのごとき言語言霊論を述べています。そう考えれば、この頭の中に存在する意味を知識とでも考える他なくなるのは論理的必然です。

  この馬鹿げた発想を、訳者の山梨正明氏や、ここで取上げた著者の一人である金水敏氏ら記述文法を論じる人々も無批判に受け入れて言語を論じているのが現状です。そして、私が手にしているシリーズ3の『文法史』では<文法>とは何かの定義もなしに生成文法に依拠し源氏物語あたりの古代語からの文法を論ずるという体たらくです。「第2章 述部の構造 2.1 活用」では中世期の歌学に活用研究の萌芽が見られると始まっていますが、結局最後は「活用現象の実態について述べた、今後は、各時代、各資料ごとの記述の積み重ねと同時に、「活用とは何か」という本質論を深めていく必要がある。」と述べることしか出来ないのです。

 時枝であれば、これまで見て来たように、「日本語(国語)とは何か」、次いで「言語とは何か」と問い、さらに「文法とは何か」、「活用とは何か」とその本質を問い論を進めることになるしかありません。

 「日本語(国語)とは何か」の問いを放棄し、西欧屈折語言語の文法論に全面的に依拠して本質を問うことなく現象論に終始する現在の日本の言語学者の実態、レベルを見たら、時枝は呆れかえり、馬鹿にするしかないと思われます。

  ここで、時枝の言語過程説の確立に至る道の追求を一休みし、少し先回りすることにはなりますが、言語学批判を始めたついでに言語過程説の立場からNETの上で展開されている、上で述べた現代言語学者に教育を受け無批判にそれを受け入れている人たちのブログを覗いて見ることにしましょう。

  最初は、たまたま連休中に見つけた「killhiguchiのお友達を作ろう」というブログに、「現代日本語において、複語尾の終止法独自の用法を、喚体メカニズムで説明する可能性につ いて」という論が説明されており異を唱えるコメントをさせてもらいました。

 言語過程説はご存じないようで、どう説明して良いかまよったのですが。当方がまずひっかかたのが複語尾という用語です。
 これは、山田孝雄(やまだ よしお、1873年(明治6年)5月10日(実際には1875年(明治8年)8月20日) - 1958年(昭和33年)11月20日))という国学者が助動詞という品詞を認めずに、用言の語尾の複雑に発達した「複語尾」だと主張したものです。
 この用語を引き継いでいるということは、山田の誤った発想を引き継いでいるのではと感じたのです。そして、内容を見て見ると正にこの発想を引き継いでいるのです。助動詞という品詞を認めないわけではないのですが、結局この用語と発想を受け入れているわけです。それは現在の上記の記述文法という言語実体観では認識を認めることができずに山田と同じ発想になるしかないという論理的必然によるものです。

 時枝は複語尾説をとらず、判断辞を一語と認め、そしてそれの欠けているものに「零記号」を設定するのですが、この「零記号」が時枝を認めない国語学会の人々には受け入れられていません。時枝の師である橋本進吉が『国語学原論』を東京帝国大学の博士論文として推薦し、学位を得るよう奔走するのですが、この「零記号」については認めることができず、「そんなバカなことがあるものか!」と他の弟子にも語っており、最後まで認めませんでした。形式主義文法学者の橋本としては論理的に受け入れられないこととなります。この辺の複語尾説について次に考えてみましょう。■  
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2015年04月26日

現代言語学批判 1

  『シリーズ 日本語史』(金水敏 他編)の言語観 1

 時枝誠記の『国語学原論』への流れを追っていますが、昭和4年に記された「新しき国語学の提唱」に対し、現代の国語学の状況として2011年7月28日 第1刷発行の岩波書店刊、『シリーズ日本語史3 文法史』に記された言語観を比べてみましょう。編者は金水 敏氏他8名によるもので、序に当たる「日本語史へのいざない」は次のように始まっています。

 「日本語史」とは何かという問いへの答えは、日本語(国語)とは何か、ひいては言語とは何かという問いに対する答えと同じくらいに多岐・多様である。
 言語とはまず、外面的に見た場合、音声や文字(時に手話)などの物理現象としての側面を持っている。しかし特定の音声や視覚的刺激が「言語」であるかそうでないか、また意味を持つ(あるいは意味を区別する)かどうかは、それを受け入れる人間の「心」が決定する。したがって、言語とは心の問題であるという心理学的接近法がある。言語を言語と認識することのできる心の状態を、広い意味で「知識」と呼ぶならば「言語」を「言語の知識」という側面から見ることができる。

  ここでは「言語とは何か」という問いに対する答えは多岐・多様であるとはぐらかされ、「言語」を「言語の知識」という側面から見ることができる、と「言語」の一側面の提示に終わっている。

 これを時間の流れの中で見れば、個別の話者の知識がどこからどのようにもたらされるか、といういわゆる「言語の習得」の問題と見なせる。

 と「言語の習得」の問題の側面を提起し、

 言語は話者の世代が更新されるたびに、いわば“生まれ直す”のだという認識をもつことは、言語の歴史を考えるうえで重要な視点であると考える。

とされる。さらに、
 
  次に、言語はコミュニケ―ションという社会的行為に用いられるという事実がある。……
 さらに、標準語の制定や漢字の制限、国語教育など、言語は国家にとって重要な政策の対象となる。言語は極めて政治的な存在でもある。……
  このように、言語は物理的、心理的、生物学的、社会的、政治的な側面を持っており、それぞれの観点から眺めることで随分違った像が結ばれることになる。そしてそのすべてが言語の姿である。

  と言語の姿の側面をあれこれ提起するのみで、「言語とは何か」に答えることなく、

  本シリーズが目指す「日本語史」とは、上記のような多岐にわたる問題のすべてを視野に収めようとする志向を持った試みである。

  と結ばれています。

 これが、時枝の、
 言語は絵画、音楽、舞踏と等しく、人間の表現活動の一つであるとした。然らば言語と云はれるものは、表現活動として如何なる性質を持つものであるかを考えて、始めて、言語の本質が、何であるかを明らかにすることが出来る。…… 
 言語の本質は、音でもない、文字でもない、思想でもない、思想を音に表わし、文字に表わす、その手段こそ言語の本質というべきではなかろうか。 ここにおいて、言語学の対象は、音響学の対象とはあきらかに区別せられるであろう。言語学者が音声を取扱うのは、音声そのものが対象の如く見えて実は然らず。音声を仲介として思想の表さるるprocessである。

 と言う到達点と、海外留学から得た実体験とから、

 国語の歴史は西洋諸国語のそれとは自ずから異なったものでありますから、その特質を明かにすることによって、西洋言語学とは別個の言語学を生み出し得るのではないかという予想と、ローマ字ならざる意文字が主要な要素となっている言語の研究には、文字の言語に働く作用役割というものを充分に研究してかからねばならないということであります。

  という提唱とは、全く相容れないことは明白です。もう少し具体的に問題点を解剖してみましょう。■  
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2015年04月17日

言語の本質とは何か ― 7

  時枝誠記の言語過程説(5) ― 「新しき国語学の提唱」の今日的意義

  時枝の留学によってさらに論理的に深められ、昭和4年に提唱された、国語学への提唱は現在の国語学、言語学の状況に対しても極めて本質的な問題を提起しています。
 これまで辿ってきたところでは、卒業論文の段階で、

  言語は絵画、音楽、舞踏と等しく、人間の表現活動の一つであるとした。然らば言語と云はれるものは、表現活動として如何なる性質を持つものであるかを考えて、始めて、言語の本質が、何であるかを明らかにすることが出来る。…… 
 言語の本質は、音でもない、文字でもない、思想でもない、思想を音に表わし、文字に表わす、その手段こそ言語の本質というべきではなかろうか。 ここにおいて、言語学の対象は、音響学の対象とはあきらかに区別せられるであろう。言語学者が音声を取扱うのは、音声そのものが対象の如く見えて実は然らず。音声を仲介として思想の表さるるprocessである。

 とする理解に達しています。卒業論文では江戸時代の国語研究の展開を辿り、その眼で欧米留学を経て得られた結論が、

  国語学の問題や方法は、何にも、西洋言語学のそれのみを、追う必要はないのではなかろうか。それよりも国語の事実に直面して、その中に問題を求め、方法を考えるべきではなかろうか。西洋言語学の問題や方法を移して、以て国語学の規範とした啓蒙時代は既に過ぎ去ったのではなかろうか。

 というものです。

  これは、『国語学原論』の序に記された「言語の本質の問題を国語学の出発点とする」次の論理へと結実する思索の過程であり、それが論理と実感に支えらえたものであることが重要であるといえます。

  言語の本質が何であるかの問題は、国語研究の出発点であると同時に、又その到達点でもある。言語の本質の研究は、言語乃至言語哲学の課題であって、国語学は言語学の特殊部門として、国語の特殊相の実証的研究に従事すればよいという議論は、未だ国語学と言語学との真の関係を明かにしたものではない。言語学が、個別的言語を他にした一般言語学(その様なものは実は存在しないのであるが)を、研究するものであるとは考えられないと同時に、国語学はそれ自体言語の本質を明める処の言語の一般理論の学にまで高められなければならないのである。国語学は決して言語学の一分業部門ではない。何となれば、国語学の対象とする具体的な個々の言語は、言語の一分肢でもなく、又その一部分でもなくして、それだけで言語としての完全な一全体をなすからである。それは、花弁が植物の一部分であり、手足が人体の一部分であるのとは異なるものである。国語の特殊相は、国語自身の持つ言語本質の現れであり、言語の本質に対する顧慮無くして、この特殊相を明かにすることは出来ないのである。この様にして、言語の本質が何であるかの問題は、国語学にとって、最初の重要な課題でなければならない。しかも、国語学の究極の課題は、国語の特殊相を通して、その背後に潜む言語の本質を把握しようとするのであるから、言語の本質の探求は、又国語学の結論ともなるべきものである。この様に見てくるならば、
何処までが国語学の領域であり、何処からが言語学の領域であるという風には考え得られないのであって、国語学は即ち日本語の言語学であるといわなければならないのである。(『国語学原論(上)』 10P)

  ここには、日本語という個別言語の特殊相と普遍相に関する弁証法的な学問把握の論理が展開されています。この本質的意義を理解し、さらにいくつかの論理的な弱点の補足訂正と展開を図ったのは三浦つとむただ一人でした。三浦が「時枝理論との出会い」で、「東大のお弟子さんにそれをやってのける腕があるかどうかは疑問である」と記した通りです。アカデミズムの国語学、言語学は時枝誠記の言語過程説をその本質に於いて理解、発展させることが出来ず今日に至っているのが現状です。
その結果としての現在の言語学、国語学の一端を次に見てみます。■
  
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2015年04月06日

言語の本質とは何か ― 6

  時枝誠記の言語過程説(4)

  時枝は京城帝国大学助教授に赴任後、昭和2年12月に語学研究法研究の欧米留学の命を受け出発。昭和4年8月に一年半の留学を終えて帰朝し、東京大学国語研究室会で「新しき国語学の提唱」という発表を留学体験を踏まえて行っています。時枝の体験、問題意識が平明に展開され、現在の言語学状況に対する鋭い批判ともなっているので、前置きを除き以下に引用致します。(新仮名遣いに直しています。)

  欧州に出発しますまでは、ヨーロッパの言語学の問題とか方法とかいうものは、国語研究に従事する私たちにとりましては、一の規範として教えられもしましたし、また自分でもそう考えて居りました。ところがヨーロッパに滞在して居りまして、実際の生活を体験するようになりましてから、ふと前とは変わった考えが浮かんで参りました。この漠然とした考えをつきつめて考えて参りましたところが、次のような結論に到達したのであります。
  国語学の問題や方法は、何にも、西洋言語学のそれのみを、追う必要はないのではなかろうか。それよりも国語の事実に直面して、その中に問題を求め、方法を考えるべきではなかろうか。西洋言語学の問題や方法を移して、以て国語学の規範とした啓蒙時代は既に過ぎ去ったのではなかろうか。
というのであります。ところで何故に言語学の問題や方法、例えば系統論とか、歴史的研究とかいう問題を、そのまま国語研究の上に適用する必要はないかと申しますと、西洋言語学の対象であります西洋諸言語と、国語学の対象であります国語との間には、その歴史の点において、また言語の性質の点において、非常に大きな差があるということを認めなければならないからであります。これまでの西洋言語学の問題や方法というものを考えて見ますと、それは、言語研究上普遍的、また必然的なものではなくして、それは、特殊な対象に応じて、起こって来たところの特殊のものであるということが出来ると思います。私はパリで暫くの間、フランス人の家庭に、あるスペイン人と同宿していたことがありましたが、食卓の会話には、屡々スペイン語、フランス語の比較論に花が咲き、また、そのスペイン人が、あるイタリア人と、お互いに自国語で会話をしながら、しかも立派に用を弁じたという話や、南フランス生まれの下宿のマダムは、習ったことはないけれども、スペイン語の会話の話題は大体の見当がつくというような話は、言語学の座談会ならざる、この下宿屋の晩餐会の卓を賑わして居りました。

  こんな例でもお分かりのように、イタリア語、スペイン語、フランス語等の諸言語、即ちいわゆるロマンス語系統の諸言語が、相互に酷似して居りますことは、ロマンス語学者から教えられるまでもなく、下宿屋のマダムでも、言語学とは全く縁のない人々でも、これを問題にすることが出来るような、極めて卑近な事実であることが分かります。小ロマンス語学者は、市井の中にざらに居るのではないかと思いました。同様なことは、ドイツ語、オランダ語、英語というようなゲルマン語系統の諸語の間にもいえるかと思います。英国のインド統治が始まり、やがてインドの古語であるサンスクリットが欧州に紹介され、印欧言語学建設の端緒が開かれたという言語学史上の事実も、我々が、遠く離れた日本で考えているよりは、もっと平凡卑近な事実に対する着目であったと申していいのではないかと思います。学問は決して天来の啓示ではないのであります。欧州言語学は、要するに欧州諸言語の間に類縁性とか、親族関係の事実が濃厚であり、著しいということに基づくものであり、たまたまサンスクリットの発見が、これらの事実を学問的に立証するに役立つという風に申して差支えないのではないかと思います。

  翻って国語について考えて見ますと、明治初年、始めて言語学がわが国に紹介されて以来、国語学は、常に欧州言語学の後を追って歩いて来ました結果、比較言語学の方法論も、そのまま我が学界に移されて、一時、国語の系統論、所属論がやかましく論議され、或はウラルアルタイ語系に属するといわれ、或はインドゲルマン語系に、或は南洋語系に、或は支那語系という風に、所属の問題が研究され、もし、この問題を解決せねば、国語学界の恥辱であるという風に考えられて参りました。しかしながら、この欧州言語学で取扱われた系統論の問題は、我が国語学にとって、それ程緊要な問題でありましょうか。フランス語がスペイン語、イタリア語等の同族語に取りかこまれて、地理的にも歴史的にも、そこに一つの系統を形成しているというような事情と、我が国語の事情とは全く相違していると見なければならないのではないかと思うのであります。

  そこで私は、国語学はこのような人真似をするよりも、先ず国語の事情を直視し、ここにおいては、何が最も著しい事実であり、また何が重要な問題であるかを探索しなければならないのではないかと考えたのであります。我々は過去において、余りに国語の事実そのものを直視することを忘れ去って、事実より理論を抽出するのでなく、他から与えられた理論を以って、事実を律しようとする傾向はなかったでしょうか。  

 ところで、我が国語にとって、何が重要な事実であるか、従って、何が緊要の問題でありましょうか。日本語の過去並びに現在を見通して、一つの大きな事実といえば、それは、何よりも先ず、国語が漢字漢語の影響を絶対的に受けたということであります。この事は、国語の事実そのものを虚心坦懐に視るものは、誰しも直ぐに気が附くことであります。国初以来、それは一般に信ぜられている時代よりも、或はもっともっと古いかも分かりません。朝鮮語という国語に極めて似た親族語との関係などとは比較にならない程の関係を、国語は支那語との間に持ち続けて来ました。私は、この平凡にして、しかも著しい事実を、国語学の重要な、また、興味ある、西洋言語学には類例の少ない問題として考えて見たいと思うのであります。

 それならば、一体何処にこの問題の興味があるかと申しますと、第一に考えられることは、日本語と支那語とは、全然別系統の言語であるということであります。西洋言語が、常に類縁性、親近性というものを辿って法則を求め、一つの学問の体系を作って来たのに反して、我が国語学は、日本語と支那語という、別系統の言語の接触という事実に対して、科学的考察を試みねばならないのであります。この研究は欧州言語学には例の少ない一つの新しい学問を提供するばかりでなく、我が国語の真相全貌を明らかにするためにも、どうしても取上げなければならない問題であるといえます。

 この二つの言語の接触によって起こった国語上の現象は色々ありましょうけれども、二、三の例を挙げてみますならば、古くは、漢字の仮借的使用法即ち真仮名の発達であります。これは、支那、朝鮮等にも既に存在した事実ではありましょうが、我が万葉集等において著しく発達したのは、要するに我が国語が支那の言語と本質的に相違していることから起こって来たものといえましょう。更にこの真仮名から平仮名、片仮名が創作され、漢字の構成に準じて和字が作られるというような事実を見ますと、漢字漢語が如何に優勢に我が国語の中に侵入して来たかが分かります。更にまた音訓を交えた重箱読、湯桶読の類の存在すること、或は乎古止点、送仮名法の発明の如きも、漢語を国語に融合させた努力の現れと見ることが出来ます。とにかく、我が国語が、漢字漢語を取り入れるためにとった努力というものは実に漠大なものでありますが、しかし今日国語が著しく煩雑に見えるのは、その重要な原因が、両言語の言語的性質の相違が余りに甚だしかったことに存するように思います。

 明治初年以来、国語の煩雑であることを認め、国語の将来を憂える人々の間に、仮名の会とか、ローマ字会とかいうものが組織されて、我が国語の記載法を、西洋の如く音標式にしようという運動が起こりましたが、国語の煩雑ということは、ただ理由なくここに至ったものでもなく、また、国民が国語に冷淡であったためでもなく、要するに、前に申しましたように、我が国語の要素の中に、全然別系統の言語の要素が入って来て、それが単純な外国語の侵入というような程度でなく、かなり重要な国語の本質的部分までをも動揺させたためであろうと考えられます。そこで、この国語の煩雑を云々する前に、どうしても我々はこの国語の歴史的事実に、それは西洋言語学にはないところの、別系統の言語の接触混淆という事実を冷静に分析解剖して研究せねばならないのであります。

 第二に考えられますことは、第一の事柄に関連して直ぐに注目されることでありますが、それは、西洋諸言語は音文字の国であるのに、支那は勿論、我が国も主として意文字を用いている国であることであります。これは大に注意せねばならぬことだと考えました。音文字の国の言語学を、直に国語研究の指南車とすることは出来ないのみならず、国語研究には文字の上においても、西洋言語学にはない問題を考えに入れてかからねばならないのであります。音文字が言語の上に働く役目は、比較的簡単でありましょうが、意文字が働く役割は複雑多岐であります。例えば「五月雨」と書いて「サミダレ」と読み、「草臥」と書いて「クタビレ」と読む類は意文字にして始めて出来ることで、ここに、国語の興味ある発展をなさしめたと同時に、これを煩雑にさせた大きな理由があると思います。この文字の方面の研究は、国語学の重要な部門と考えられるのでありますが、従来の国語学は、音韻研究には相当の頁を割きながら、文字の作用に至っては、殆ど何も説いていないのは、言語は、音の上において取扱うべきものであって、文字の上で取り取扱ってはならぬという言語学の掟に囚われて、国語の事実を無視したためではないかと思います。

  この弊と考えられる一つの例を申しますと、我が国における辞書の類の編纂法であります。辞書の役目は色々ありましょう。書くために文字を探し出す節用集の類の如きがあります。今日の大辞書は、主として書物を読むために用いるので、辞書は、過去現在に用いられる言葉の登録並みに現在の文献の上に実在する形において登録されねばならない筈でありますが、現在の辞書を見ると、それが必ずしもそうはなっていないのであります。例えば、「海月」「案山子」と言う文字を、何と読み、如何なる事であるかを知ろうとするには、これを「クラゲ」「カカシ」と読むことを知っているのでなければ、これを求めることが非常に困難であり、ある場合には不可能であります。一体、文献に現れる我が国語の存在には二つの形式が考えられます。一つは音文字である仮名として存在し、一つは意文字である漢字の上に存在していることであります。しかも、多くの場合、それが純粋の国語であっても、漢字の上に存在することであります。ところが、多くの辞書は、この国語の実際の姿を全く変えてしまって、悉く、これを仮名の形に直して登録するという方法をとっております。これは、云はば人間を裸体にして並べたようなもので、これでは現実に家庭や町で会う人とは余程異なったものとなり、探す人は何処の誰と見きわめることが非常に困難になってしまいます。仮名による国語の配列は、その外形だけはアルファベット式配列の西洋語辞書と近似していても、その本質に於いて、全然相違したものであることを知らなければならないのであります。西洋においても、文献に実在する語彙の姿をそのまま登録するということは当然やって居ることでありまして、中世フランス語の大辞書の如きは、綴字が浮動していて、一語に数種の綴字のある場合は、丹念にこれを蒐集して、皆その条件下に配列しているのを見ました。

  右に述べました私の二つの感想を、最後に纏めて申しますと、国語の歴史は西洋諸国語のそれとは自ずから異なったものでありますから、その特質を明かにすることによって、西洋言語学とは別個の言語学を生み出し得るのではないかという予想と、ローマ字ならざる意文字が主要な要素となっている言語の研究には、文字の言語に働く作用役割というものを充分に研究してかからねばならないということであります。以上甚だ纏まらぬことを述べましたが、皆さんのご意見を伺いたいと思います。       (『国語学への道』:七 東京大学国語研究室会における談話―国語学の方法論に対する一の提案―)■

  
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2015年03月29日

天の原……の歌:古田史学と松本深志高校

  話は逸れますが先日、古田史学の会より、『盗まれた「聖徳太子」伝承』(注)が届きました。興味深い記事ばかりなので早速読み耽りました。九州王朝説で知られる古田武彦氏の松本深志高校での講演「深志から始まった九州王朝―真実の誕生」(2014.10.4)が最初に掲載され、高校生からの質問で感動的な逸話が記されていました。

  古田氏は東北大学の日本思想史科を昭和23年に卒業し松本深志高校の教師として6年間を過ごします。88才の米寿を迎えての講演ですから66年程前の話ということになります。戦後の混乱期の一挿話です。
  高校性の質問は当時の生徒、つまり新米教師であった古田氏の教え子から依頼されたものでした。当時の生徒からの新米いじめとも言うべき質問が九州王朝探求の一契機となった経緯についてです。
社会科から国語を教えることとなり古今集の安倍仲麻呂の良く知られた次の歌を取上げた後に、生徒から新米教師が鋭い質問を浴びます。

   天の原 ふりさけ見れば 春日なる
        三笠の山に 出(い)でし月かも      安倍仲麿(7番) 『古今集』羇旅・406

 仲麿が明州(現在の寧波(ニンポー)市)で送別の宴が催された時に詠まれたとされるもので、NETでも次のように解説されています。
  天を見ると美しい月が昇っている。あの月は、遠い昔、遣唐使に出かける時に祈りを捧げた春日大社のある三笠山に昇っているのと同じ月なのだ。ようやく帰れるのだなあ。
 
  この説明に対し生徒から次のような質問が出されます。
 呉国から大和は見えるのか。ふりさけ見ればというのは、それまで宴会では皆西を向いていたのか。春日とは中国でそんなに有名なのか。なぜ、大和なる三笠の山と言わないで、春日なるなのか。
 現在でも似たような疑問がYahoo! 質問箱などで出るように、通説では割り切れないものが残ります。

 これに対し、新米教師は先輩教師の国文学専門家に助けを求めますが答があるわけもなく、「わからん」と言わざるをえません。この答えは質問を受けてから25年後に九州王朝探求の途次で得られることとなります。古田氏の説明を聞いてみましょう。

 これが解けたのは、質問を受けてから二十五年も経って、古代史の世界に入って対馬に船で行った時です。博多から壱岐を通って対馬へ船で向かった時、あるところで西に向きを変える。博多からずーと行きますと、対馬の西側浅茅湾へ入るには、大きい船は壱岐の北東側をまわって、そこの水道で、西に向きを変えるのがスムースなんです。船のデッキに出ていて、西向きの水道に入った時に博多方面を見ていた。たまたま目の前に壱岐の島があり船員さんに「ここはどこですか」と壱岐の地名を聞いたら、「天の原です」と言われてギョッとした。こんなところに「天の原」がある。確かに考古学的には壱岐に天の原遺跡があり、銅矛が三本出土したことぐらいは知らないではなかったが、その遺跡がどこにあるかは、確かめたことがなかった。ところが目の前というか目の下に、船の曲がり角のところに「天の原」があった。「天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に 出でし月かも」、この歌が作られたのは、通説とは違って、ここ「天の原」ではないか。ここを過ぎれば、春日なる三笠の山は、もう見えなくなる。なつかしいふるさと日本は見えなくなる。
 その時は、もう九州の「春日と三笠山」については、一応知っていた。旧制広島高校時代の無二の親友といってもよい友人が九州春日市にいた。そこの家に泊めてもらって、福岡・博多湾岸を歩き回った経験がある。だから一応地理は知っていた。春日市、須玖岡本遺跡があるところ。三笠山、現在名は宝満山。仏教的な命名で後で付けられた名前。本来は三笠山という山がある。ここの三笠山は、三笠川が博多湾に流れていて、三笠郡がある。ですから「天の原 春日 三笠山」三カ所ピッタと結びついた。
 ところが、「天の原」があり、船のデッキから見ると、ドンピシャリ見えるというわけではないが、大体あの辺りが三笠山となる。しかも後で知ったことですが、振り返って見ると、目の前に三笠の山が二つある。金印の出た志賀島。そこにもそんなに高くはないが三笠山があり、他方は宝満山と呼ばれる三笠山がある。「筑紫なる三笠の山」と言えば、どちらか分からない。ここでは宝満山を三笠山に特定するためには、「春日なる三笠の山」と呼ばなければならない。
 たしかに仲麻呂は呉の国明州で、別れの宴でこの歌を歌ったでもかまいません。
 しかし、その場で作って歌ったのではなくて、日本を別れる時に作った歌をそこで歌った。
 これはわたしにとって、一つのエポックとなった。
 これは古今集ですが、やはり万葉集というのは、歌そのものを正確に理解することが第一。まえがきという状況説明は併せて理解する。つまり歌は第一史料、まえがき・あとがきという状況説明は第2史料である。そういうテーマまでたどり着いた。これが深志高校での経験です。

 こういう逸話が語り継がれる高校というのも素晴らしいものですね。そして、この「歌そのものを正確に理解することが第一」という古田史学の到達点は、時枝誠記の「学問研究の根本的態度は、方法論の穿鑿よりも、先ず対象に対する凝視と沈潜でなければならい」という発想そのものと言えます。■

 注:『盗まれた「聖徳太子」伝承―古代に真実を求めて・古田史学論集第18集』:古田史学の会編、明石書房刊、2015.3.25初版・第1刷。
  
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2015年03月20日

言語の本質とは何か ― 5

   時枝誠記の言語過程説(3)

 言語を「音声を仲介として思想の表わさるるprocessである」とする観点に至った時枝は、これを具体化するための細目を具体化し、助教授の橋本進吉の意見を聞き、問題を「日本における言語意識の発達及び言語研究の目的とその方法」に絞り研究に着手する。そして、橋本より次の助言を受ける。
日本の言語研究は今日から見て余りありがたいものではないから、多くを期待せず、捨て読みをする積りで取りかかることが肝腎である。
橋本自身、言語学科の出身であり国学等の成果をどのように見ていたかが伺われる。これに対し、時枝は、
 今の場合、それは問題ではなく、そのような幼稚な考え方がどうして出て来たか、また、それがどういう風に発展して行ったかを、ただありのままに追及してみたい。
と、応え計画えの賛意とそれとなく激励の言葉を与えられたことを記している。これは、対象を既成概念で解釈するのではなく、まず、あくまで対象そのものを反省的に捉えようとする時枝の発想を良く表わしている。

 この研究を関東大震災のため学生に使用が許されない帝国大学の図書館で行うことができず、東京の南葵文庫と京都帝国大学の蔵書と、その図書館で進めることになる。この過程で、イエスペルセンの『言語』(Language.1992刊)で始めてヨーロッパの言語学史を学び、言語学史を言語に関する問題史として取扱った態度に感銘を受けている。ここでも、次のように記している。
 学問研究が、方法論的に一の技術に固定しようとするとき、我々は再び立ち返って、対象に対する素朴な心の燃焼から出発することは大切なことである。私はイエスペルセン氏と共に「言語の本質とは何か」の問いを発するところから始めようとしやのである。そして、その回答を各時代の先覚に求めようとしたのである。国語学を国語に対する自覚的反省の体系と見るならば、私が今求めようとするところのものは、そのような自覚反省の展開史であり、即ちそれは国語学の歴史であり、いわゆる国語学史である。私は現代国語学の体系を、国語学史の展開の最先端に求めようとしたのである。ここに、私の国語学の方法論が存在するのである。
このような自覚のもとに、従来世に行われている国語学史に厳正な批判の眼を向け、「①現代の言語理論を以って、過去の研究に筆誅を加えることではなく、②国語研究の国学への依存の関係を無視して、国語研究を、一個独立の科学として批判を加えようとすることによって、国学史は第二の過誤を犯し、国語学史の如実の姿を見失うと同時に、そこに取上げられた重要な問題の幾つかを、看過することになった」と指摘し次のように続ける。
 私の国語学史は、敢えて新奇をてらうものではない、その根本思想は極めて平凡なものであった。これを譬えていぬならば、赤子がようやく独り歩きをするようになった時、成人の歩き振りと比較して、そのよちよち歩きを笑うようなことを止めよというのに他ならない。寧ろ昨日よりも今日の上達を認め、更に明日の進歩を助長させることを願おうとするのである。
 この平凡極まる歴史叙述の原理に立って、私は、我がてにをは研究の源流の中に、幼稚な品詞分類法の萌芽よりも、係り結びの法則即ち文における首尾呼応の現象の発見を、真淵の五十音連続図に、活用図を認めるよりも、音義学的研究の萌芽を、用言の活用研究の真意が、語と語との断続の研究にあることなどを認め得て、我が国語研究史をヨーロッパ言語学の理論或は問題を以って批判することは、あたかも葡萄酒を以って日本酒を批判するにひとしいものであることを知るに至った。そして、これら国語学史上の問題は、いはば日本語の特質の投影として、国語認識の重要な足場であることを次第に自覚するに至った。
 日本人が、日本語をどのように見たか。また、日本語を通して、言語をどのように思索したかということが、明治の時代の到来と共に一切忘れ去られ、捨て去られたということは、国語学にとって惜しいことでならない。日本語を通して言語学に寄与すべかりし可能性が、一切断ち切られて、逆に西洋人が西洋語を見た理論を以って、国語を律しようとすることが新しい国語学の方法論となったのである。国語学史と国語学、そして西洋言語学と国語学、これらの関係について慎重な考慮を回らすということが、国語学にとって極めて大切なことと考えられて来たのである。 古い国語研究の跡を顧みるということは、古きを尋ねて新しきを知るとか、短を捨てて長を取るとか、国粋主義か国際主義課というような、単なる人生観の問題ではなく、学問の方法論として極めて大切なこととなって来たのである。
 このような問題意識を抱いて卒業後、略歴にある通りまず第二東京市立中学校教諭となり、昭和2年に京城大学助教授に転ずる。そして語学研究法研究の為、英・独・仏・米の各国留学の命を受け出発し、ここでまた更に認識を深めることになる。
 それを見た後に、この「あたかも葡萄酒を以って日本酒を批判するにひとしいもの」である対象の本質を軽視した学問が国語学だけの問題ではなく、近代日本の根深い問題であることを明らかにしたい。■  
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