時枝誠記の言語過程説(6) ― 留学戻りから源氏物語読解へ
言語は表現の一種であるという時枝の卒業論文での論究から、その後京城帝大に赴任し一年半のヨーロッパ留学による言語学の実情の見聞により、
国語学の問題や方法は、何にも、西洋言語学のそれのみを、追う必要はないのではなかろうか。それよりも国語の事実に直面して、その中に問題を求め、方法を考えるべきではなかろうか。西洋言語学の問題や方法を移して、以て国語学の規範とした啓蒙時代は既に過ぎ去ったのではなかろうか。
との自覚に達するところまでを見てきました。留学より戻ったのが昭和4年(1929)で、先の自覚について次のような理論的根拠を見出している。
(一)国語学の方法及び問題点を、西洋言語学のそれを離れて、国語自体の現象の中に求めることは、先進科学の方法問題を無視して、唯我独尊を主張することではなくして、言語学の立脚する真の科学的精神に忠実であることであり、この精神を生かすことである。言語学の皮相な結論にのみ追随することが言語学に忠実である所以ではない。こ々に国語学と言語学との関係を明らかにすることができると同時に、科学的というには未完成な明治以前の国語研究を、今日以後の国語学の出発点とすると根拠をも理論づけることが出来る。それは単なる日本的言語学の樹立というような偏狭な態度を意味するのではなく、寧ろそこにこそ、国語学が言語学の一翼を負担する真の意義が生ずる。
(二)学問研究の根本的態度は、方法論の穿鑿よりも、先ず対象に対する凝視と沈潜でなければならないということ。言語学の方法を法に忠実であろうとするならば、それが教える理論や方法を一先ず措いて、対象を凝視し沈潜することでなければならない。この信念に基づき、これを実行に移すため昭和五年四月の新学年の講義として「漢字漢語の輸入に基づく国語学上の諸問題」という題目を掲げること々した。
この講義案は省略しますが、「究極の目的は、これによって国語史の特質を明らかにすることにあったのである。」と記しています。昭和十九年には文部省の助成金の申請までして研究を進めますが時局の影響もありわずかに十九年六月に総論的な発表で打ち切ります。ここには自然科学的という見せかけではなく、「真の科学的精神に忠実」であり、「この精神を生かす」という弁証法的思考に基づき「対象を凝視し沈潜する」姿勢が宣言されています。現在の外国の言語学に依拠することこそ学問的という非自立的な発想とは根本的に異なっています。
他方で、「言語意識の発達、或いは言語に対する自覚ということは、少なくとも我が国に於いては、主として古典講読や解釈の結論であり、その副産物であって、国語学と古典解釈の密接不離な関係を思えば、明治以前に於ける国語研究の実際は、これら古典についての購読や解釈と、それの結論である国語理論とを相関的に観察してこそ、始めて国語研究の真相に触れることが出来るのである。そういう意味に於いて私の国語学研究史は甚だしく片手落ちであった。もっと私は国語そのものを凝視しなければならない。」との反省の基に、「昭和五年の春」を迎えたならば、我が古典の随一であり、難解の評のある源氏物語を読み始めようと決意した。」のです。そして、三年余りの日時を費やし、昭和八年の三月に読了しています。さらに、次のような地点に達します。
この読解の仕事を通して、私は再度転じて私の国語学史研究に新しい立場を加えることの必要性を感ずるに至った(このことは更に別項に述べること々した)。同時に国語学史の研究は、単に過去への懐古的興味を以てなされるものでなく、将来の国語学建設への重要な足場となるべきものであることをはっきりと意識するようになった。古人の国語に対する自覚の最終点が、実に我我の国語意識の出発転であるべきこと。現在及将来の国語学の建設は、古人の国語研究を乗り越える処に始められるべきことが痛感せられるに至った。そしてその間他方に於いて、私は絶えず、私の国語研究の最初に予想せられた、言語は心的内容の表現過程そのものであるという、言語に対する一つの本質観を実証することを忘れなかった。源氏物語の読解は、私の今までの国語学史研究に活を入れるものであると同時に、国語学史より国語の特質の闡明への一大通路を開拓すべきものであることを信ずるに至って、私は此の二年間従事してきた「漢字漢語の輸入に基づく国語学上の諸問題」の講義をいったん打切り、源氏物語の演習を大学の教壇で開始することの計画を立てた。爾来私は東京帝大へ転任するに至るまで約十幾年間、殆ど毎年「中古語」研究の題下に専ら源氏物語の読解を継続することとしたのである。後に述べる国語学言論の理論の内容をなすものは、専らこの京城帝大に於ける中古語研究に於ける源氏物語読解の産物であったと云ってよい。
この京城帝大に於ける研究過程で、フッサールの精神現象学を必要とする段階に差しかかったという時期があり、そのことを証する記事がありますが、次回はそれを紹介します。
今回の引用は時枝誠記『国語研究法』(昭和二十二年九月三十日初版、三省堂)によりました。引用に当たっては旧漢字、仮名遣いを改めています。■