2017年04月09日

「非文」について(3)

 
 宮下眞二による「変形文法の展開とホーキンズの冠詞論」の「三 非文とは何か」の後半を転載します。
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 非文法性とは文法違反のことである筈だから、文法違反とは言語のどういう事実であるかを反省してみよう。言語は規範に媒介された表現である。所謂文法とは言語を媒介する言語規範のことである。文法違反とは、言語が文法に依って正しく媒介されないことである。詳しく説明すれば、言語は対象―認識―表現という客観的関係をもっていて、この関係は文法に依って媒介されねばならない。文法とは、或る種の対象を表す場合には或る種の音声や文字を用いると云う表現のための約束である。話手が赤くて酸っぱいリンゴを表すために、リンゴの語彙を用いて「リンゴ」と言えば、対象と認識と言語とは正しく媒介されて、聞手は内容を正しく把握することが出来る。しかしこの場合に、話手がリンゴの語彙を忘れたり、又は間違えたりして「ミカン」と言ったとすると、これは対象―認識―表現の関係を正しく媒介していないから、文法違反即ち非文である。このように、文法違反か否かとは、言語の過程的構造が言語規範に依って正しく媒介されているか否かであって、言語の内容が常識に適っているか否か、又は言語の表面的の統語構造の辻褄が合っているか否かではないのである。チョムスキーらは、文の背後にある、話手が何をどう表現したかと云う表現過程を無視して、文の内容を日常的常識と比べて、文法的とか非文法的とかまことに安直に判定して、それを土台として変形文法の理論をデッチ上げたのである。
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 この指摘は、原理とパラメターのアプローチからミニマリスト・プログラムへと変転しても何ら変わっていないといえます。そして、この非文を安直に取り込んでいる現在の日本語記述文法もまた同様であり、これまで検討してきた、杉村泰稿「ヨウダとソウダの主観性」でも明かかと思います。先にたまたま見つけた博士論文もまたということになります。■

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