2015年04月26日

現代言語学批判 1

  『シリーズ 日本語史』(金水敏 他編)の言語観 1

 時枝誠記の『国語学原論』への流れを追っていますが、昭和4年に記された「新しき国語学の提唱」に対し、現代の国語学の状況として2011年7月28日 第1刷発行の岩波書店刊、『シリーズ日本語史3 文法史』に記された言語観を比べてみましょう。編者は金水 敏氏他8名によるもので、序に当たる「日本語史へのいざない」は次のように始まっています。

 「日本語史」とは何かという問いへの答えは、日本語(国語)とは何か、ひいては言語とは何かという問いに対する答えと同じくらいに多岐・多様である。
 言語とはまず、外面的に見た場合、音声や文字(時に手話)などの物理現象としての側面を持っている。しかし特定の音声や視覚的刺激が「言語」であるかそうでないか、また意味を持つ(あるいは意味を区別する)かどうかは、それを受け入れる人間の「心」が決定する。したがって、言語とは心の問題であるという心理学的接近法がある。言語を言語と認識することのできる心の状態を、広い意味で「知識」と呼ぶならば「言語」を「言語の知識」という側面から見ることができる。

  ここでは「言語とは何か」という問いに対する答えは多岐・多様であるとはぐらかされ、「言語」を「言語の知識」という側面から見ることができる、と「言語」の一側面の提示に終わっている。

 これを時間の流れの中で見れば、個別の話者の知識がどこからどのようにもたらされるか、といういわゆる「言語の習得」の問題と見なせる。

 と「言語の習得」の問題の側面を提起し、

 言語は話者の世代が更新されるたびに、いわば“生まれ直す”のだという認識をもつことは、言語の歴史を考えるうえで重要な視点であると考える。

とされる。さらに、
 
  次に、言語はコミュニケ―ションという社会的行為に用いられるという事実がある。……
 さらに、標準語の制定や漢字の制限、国語教育など、言語は国家にとって重要な政策の対象となる。言語は極めて政治的な存在でもある。……
  このように、言語は物理的、心理的、生物学的、社会的、政治的な側面を持っており、それぞれの観点から眺めることで随分違った像が結ばれることになる。そしてそのすべてが言語の姿である。

  と言語の姿の側面をあれこれ提起するのみで、「言語とは何か」に答えることなく、

  本シリーズが目指す「日本語史」とは、上記のような多岐にわたる問題のすべてを視野に収めようとする志向を持った試みである。

  と結ばれています。

 これが、時枝の、
 言語は絵画、音楽、舞踏と等しく、人間の表現活動の一つであるとした。然らば言語と云はれるものは、表現活動として如何なる性質を持つものであるかを考えて、始めて、言語の本質が、何であるかを明らかにすることが出来る。…… 
 言語の本質は、音でもない、文字でもない、思想でもない、思想を音に表わし、文字に表わす、その手段こそ言語の本質というべきではなかろうか。 ここにおいて、言語学の対象は、音響学の対象とはあきらかに区別せられるであろう。言語学者が音声を取扱うのは、音声そのものが対象の如く見えて実は然らず。音声を仲介として思想の表さるるprocessである。

 と言う到達点と、海外留学から得た実体験とから、

 国語の歴史は西洋諸国語のそれとは自ずから異なったものでありますから、その特質を明かにすることによって、西洋言語学とは別個の言語学を生み出し得るのではないかという予想と、ローマ字ならざる意文字が主要な要素となっている言語の研究には、文字の言語に働く作用役割というものを充分に研究してかからねばならないということであります。

  という提唱とは、全く相容れないことは明白です。もう少し具体的に問題点を解剖してみましょう。■  
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2015年04月17日

言語の本質とは何か ― 7

  時枝誠記の言語過程説(5) ― 「新しき国語学の提唱」の今日的意義

  時枝の留学によってさらに論理的に深められ、昭和4年に提唱された、国語学への提唱は現在の国語学、言語学の状況に対しても極めて本質的な問題を提起しています。
 これまで辿ってきたところでは、卒業論文の段階で、

  言語は絵画、音楽、舞踏と等しく、人間の表現活動の一つであるとした。然らば言語と云はれるものは、表現活動として如何なる性質を持つものであるかを考えて、始めて、言語の本質が、何であるかを明らかにすることが出来る。…… 
 言語の本質は、音でもない、文字でもない、思想でもない、思想を音に表わし、文字に表わす、その手段こそ言語の本質というべきではなかろうか。 ここにおいて、言語学の対象は、音響学の対象とはあきらかに区別せられるであろう。言語学者が音声を取扱うのは、音声そのものが対象の如く見えて実は然らず。音声を仲介として思想の表さるるprocessである。

 とする理解に達しています。卒業論文では江戸時代の国語研究の展開を辿り、その眼で欧米留学を経て得られた結論が、

  国語学の問題や方法は、何にも、西洋言語学のそれのみを、追う必要はないのではなかろうか。それよりも国語の事実に直面して、その中に問題を求め、方法を考えるべきではなかろうか。西洋言語学の問題や方法を移して、以て国語学の規範とした啓蒙時代は既に過ぎ去ったのではなかろうか。

 というものです。

  これは、『国語学原論』の序に記された「言語の本質の問題を国語学の出発点とする」次の論理へと結実する思索の過程であり、それが論理と実感に支えらえたものであることが重要であるといえます。

  言語の本質が何であるかの問題は、国語研究の出発点であると同時に、又その到達点でもある。言語の本質の研究は、言語乃至言語哲学の課題であって、国語学は言語学の特殊部門として、国語の特殊相の実証的研究に従事すればよいという議論は、未だ国語学と言語学との真の関係を明かにしたものではない。言語学が、個別的言語を他にした一般言語学(その様なものは実は存在しないのであるが)を、研究するものであるとは考えられないと同時に、国語学はそれ自体言語の本質を明める処の言語の一般理論の学にまで高められなければならないのである。国語学は決して言語学の一分業部門ではない。何となれば、国語学の対象とする具体的な個々の言語は、言語の一分肢でもなく、又その一部分でもなくして、それだけで言語としての完全な一全体をなすからである。それは、花弁が植物の一部分であり、手足が人体の一部分であるのとは異なるものである。国語の特殊相は、国語自身の持つ言語本質の現れであり、言語の本質に対する顧慮無くして、この特殊相を明かにすることは出来ないのである。この様にして、言語の本質が何であるかの問題は、国語学にとって、最初の重要な課題でなければならない。しかも、国語学の究極の課題は、国語の特殊相を通して、その背後に潜む言語の本質を把握しようとするのであるから、言語の本質の探求は、又国語学の結論ともなるべきものである。この様に見てくるならば、
何処までが国語学の領域であり、何処からが言語学の領域であるという風には考え得られないのであって、国語学は即ち日本語の言語学であるといわなければならないのである。(『国語学原論(上)』 10P)

  ここには、日本語という個別言語の特殊相と普遍相に関する弁証法的な学問把握の論理が展開されています。この本質的意義を理解し、さらにいくつかの論理的な弱点の補足訂正と展開を図ったのは三浦つとむただ一人でした。三浦が「時枝理論との出会い」で、「東大のお弟子さんにそれをやってのける腕があるかどうかは疑問である」と記した通りです。アカデミズムの国語学、言語学は時枝誠記の言語過程説をその本質に於いて理解、発展させることが出来ず今日に至っているのが現状です。
その結果としての現在の言語学、国語学の一端を次に見てみます。■
  
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2015年04月06日

言語の本質とは何か ― 6

  時枝誠記の言語過程説(4)

  時枝は京城帝国大学助教授に赴任後、昭和2年12月に語学研究法研究の欧米留学の命を受け出発。昭和4年8月に一年半の留学を終えて帰朝し、東京大学国語研究室会で「新しき国語学の提唱」という発表を留学体験を踏まえて行っています。時枝の体験、問題意識が平明に展開され、現在の言語学状況に対する鋭い批判ともなっているので、前置きを除き以下に引用致します。(新仮名遣いに直しています。)

  欧州に出発しますまでは、ヨーロッパの言語学の問題とか方法とかいうものは、国語研究に従事する私たちにとりましては、一の規範として教えられもしましたし、また自分でもそう考えて居りました。ところがヨーロッパに滞在して居りまして、実際の生活を体験するようになりましてから、ふと前とは変わった考えが浮かんで参りました。この漠然とした考えをつきつめて考えて参りましたところが、次のような結論に到達したのであります。
  国語学の問題や方法は、何にも、西洋言語学のそれのみを、追う必要はないのではなかろうか。それよりも国語の事実に直面して、その中に問題を求め、方法を考えるべきではなかろうか。西洋言語学の問題や方法を移して、以て国語学の規範とした啓蒙時代は既に過ぎ去ったのではなかろうか。
というのであります。ところで何故に言語学の問題や方法、例えば系統論とか、歴史的研究とかいう問題を、そのまま国語研究の上に適用する必要はないかと申しますと、西洋言語学の対象であります西洋諸言語と、国語学の対象であります国語との間には、その歴史の点において、また言語の性質の点において、非常に大きな差があるということを認めなければならないからであります。これまでの西洋言語学の問題や方法というものを考えて見ますと、それは、言語研究上普遍的、また必然的なものではなくして、それは、特殊な対象に応じて、起こって来たところの特殊のものであるということが出来ると思います。私はパリで暫くの間、フランス人の家庭に、あるスペイン人と同宿していたことがありましたが、食卓の会話には、屡々スペイン語、フランス語の比較論に花が咲き、また、そのスペイン人が、あるイタリア人と、お互いに自国語で会話をしながら、しかも立派に用を弁じたという話や、南フランス生まれの下宿のマダムは、習ったことはないけれども、スペイン語の会話の話題は大体の見当がつくというような話は、言語学の座談会ならざる、この下宿屋の晩餐会の卓を賑わして居りました。

  こんな例でもお分かりのように、イタリア語、スペイン語、フランス語等の諸言語、即ちいわゆるロマンス語系統の諸言語が、相互に酷似して居りますことは、ロマンス語学者から教えられるまでもなく、下宿屋のマダムでも、言語学とは全く縁のない人々でも、これを問題にすることが出来るような、極めて卑近な事実であることが分かります。小ロマンス語学者は、市井の中にざらに居るのではないかと思いました。同様なことは、ドイツ語、オランダ語、英語というようなゲルマン語系統の諸語の間にもいえるかと思います。英国のインド統治が始まり、やがてインドの古語であるサンスクリットが欧州に紹介され、印欧言語学建設の端緒が開かれたという言語学史上の事実も、我々が、遠く離れた日本で考えているよりは、もっと平凡卑近な事実に対する着目であったと申していいのではないかと思います。学問は決して天来の啓示ではないのであります。欧州言語学は、要するに欧州諸言語の間に類縁性とか、親族関係の事実が濃厚であり、著しいということに基づくものであり、たまたまサンスクリットの発見が、これらの事実を学問的に立証するに役立つという風に申して差支えないのではないかと思います。

  翻って国語について考えて見ますと、明治初年、始めて言語学がわが国に紹介されて以来、国語学は、常に欧州言語学の後を追って歩いて来ました結果、比較言語学の方法論も、そのまま我が学界に移されて、一時、国語の系統論、所属論がやかましく論議され、或はウラルアルタイ語系に属するといわれ、或はインドゲルマン語系に、或は南洋語系に、或は支那語系という風に、所属の問題が研究され、もし、この問題を解決せねば、国語学界の恥辱であるという風に考えられて参りました。しかしながら、この欧州言語学で取扱われた系統論の問題は、我が国語学にとって、それ程緊要な問題でありましょうか。フランス語がスペイン語、イタリア語等の同族語に取りかこまれて、地理的にも歴史的にも、そこに一つの系統を形成しているというような事情と、我が国語の事情とは全く相違していると見なければならないのではないかと思うのであります。

  そこで私は、国語学はこのような人真似をするよりも、先ず国語の事情を直視し、ここにおいては、何が最も著しい事実であり、また何が重要な問題であるかを探索しなければならないのではないかと考えたのであります。我々は過去において、余りに国語の事実そのものを直視することを忘れ去って、事実より理論を抽出するのでなく、他から与えられた理論を以って、事実を律しようとする傾向はなかったでしょうか。  

 ところで、我が国語にとって、何が重要な事実であるか、従って、何が緊要の問題でありましょうか。日本語の過去並びに現在を見通して、一つの大きな事実といえば、それは、何よりも先ず、国語が漢字漢語の影響を絶対的に受けたということであります。この事は、国語の事実そのものを虚心坦懐に視るものは、誰しも直ぐに気が附くことであります。国初以来、それは一般に信ぜられている時代よりも、或はもっともっと古いかも分かりません。朝鮮語という国語に極めて似た親族語との関係などとは比較にならない程の関係を、国語は支那語との間に持ち続けて来ました。私は、この平凡にして、しかも著しい事実を、国語学の重要な、また、興味ある、西洋言語学には類例の少ない問題として考えて見たいと思うのであります。

 それならば、一体何処にこの問題の興味があるかと申しますと、第一に考えられることは、日本語と支那語とは、全然別系統の言語であるということであります。西洋言語が、常に類縁性、親近性というものを辿って法則を求め、一つの学問の体系を作って来たのに反して、我が国語学は、日本語と支那語という、別系統の言語の接触という事実に対して、科学的考察を試みねばならないのであります。この研究は欧州言語学には例の少ない一つの新しい学問を提供するばかりでなく、我が国語の真相全貌を明らかにするためにも、どうしても取上げなければならない問題であるといえます。

 この二つの言語の接触によって起こった国語上の現象は色々ありましょうけれども、二、三の例を挙げてみますならば、古くは、漢字の仮借的使用法即ち真仮名の発達であります。これは、支那、朝鮮等にも既に存在した事実ではありましょうが、我が万葉集等において著しく発達したのは、要するに我が国語が支那の言語と本質的に相違していることから起こって来たものといえましょう。更にこの真仮名から平仮名、片仮名が創作され、漢字の構成に準じて和字が作られるというような事実を見ますと、漢字漢語が如何に優勢に我が国語の中に侵入して来たかが分かります。更にまた音訓を交えた重箱読、湯桶読の類の存在すること、或は乎古止点、送仮名法の発明の如きも、漢語を国語に融合させた努力の現れと見ることが出来ます。とにかく、我が国語が、漢字漢語を取り入れるためにとった努力というものは実に漠大なものでありますが、しかし今日国語が著しく煩雑に見えるのは、その重要な原因が、両言語の言語的性質の相違が余りに甚だしかったことに存するように思います。

 明治初年以来、国語の煩雑であることを認め、国語の将来を憂える人々の間に、仮名の会とか、ローマ字会とかいうものが組織されて、我が国語の記載法を、西洋の如く音標式にしようという運動が起こりましたが、国語の煩雑ということは、ただ理由なくここに至ったものでもなく、また、国民が国語に冷淡であったためでもなく、要するに、前に申しましたように、我が国語の要素の中に、全然別系統の言語の要素が入って来て、それが単純な外国語の侵入というような程度でなく、かなり重要な国語の本質的部分までをも動揺させたためであろうと考えられます。そこで、この国語の煩雑を云々する前に、どうしても我々はこの国語の歴史的事実に、それは西洋言語学にはないところの、別系統の言語の接触混淆という事実を冷静に分析解剖して研究せねばならないのであります。

 第二に考えられますことは、第一の事柄に関連して直ぐに注目されることでありますが、それは、西洋諸言語は音文字の国であるのに、支那は勿論、我が国も主として意文字を用いている国であることであります。これは大に注意せねばならぬことだと考えました。音文字の国の言語学を、直に国語研究の指南車とすることは出来ないのみならず、国語研究には文字の上においても、西洋言語学にはない問題を考えに入れてかからねばならないのであります。音文字が言語の上に働く役目は、比較的簡単でありましょうが、意文字が働く役割は複雑多岐であります。例えば「五月雨」と書いて「サミダレ」と読み、「草臥」と書いて「クタビレ」と読む類は意文字にして始めて出来ることで、ここに、国語の興味ある発展をなさしめたと同時に、これを煩雑にさせた大きな理由があると思います。この文字の方面の研究は、国語学の重要な部門と考えられるのでありますが、従来の国語学は、音韻研究には相当の頁を割きながら、文字の作用に至っては、殆ど何も説いていないのは、言語は、音の上において取扱うべきものであって、文字の上で取り取扱ってはならぬという言語学の掟に囚われて、国語の事実を無視したためではないかと思います。

  この弊と考えられる一つの例を申しますと、我が国における辞書の類の編纂法であります。辞書の役目は色々ありましょう。書くために文字を探し出す節用集の類の如きがあります。今日の大辞書は、主として書物を読むために用いるので、辞書は、過去現在に用いられる言葉の登録並みに現在の文献の上に実在する形において登録されねばならない筈でありますが、現在の辞書を見ると、それが必ずしもそうはなっていないのであります。例えば、「海月」「案山子」と言う文字を、何と読み、如何なる事であるかを知ろうとするには、これを「クラゲ」「カカシ」と読むことを知っているのでなければ、これを求めることが非常に困難であり、ある場合には不可能であります。一体、文献に現れる我が国語の存在には二つの形式が考えられます。一つは音文字である仮名として存在し、一つは意文字である漢字の上に存在していることであります。しかも、多くの場合、それが純粋の国語であっても、漢字の上に存在することであります。ところが、多くの辞書は、この国語の実際の姿を全く変えてしまって、悉く、これを仮名の形に直して登録するという方法をとっております。これは、云はば人間を裸体にして並べたようなもので、これでは現実に家庭や町で会う人とは余程異なったものとなり、探す人は何処の誰と見きわめることが非常に困難になってしまいます。仮名による国語の配列は、その外形だけはアルファベット式配列の西洋語辞書と近似していても、その本質に於いて、全然相違したものであることを知らなければならないのであります。西洋においても、文献に実在する語彙の姿をそのまま登録するということは当然やって居ることでありまして、中世フランス語の大辞書の如きは、綴字が浮動していて、一語に数種の綴字のある場合は、丹念にこれを蒐集して、皆その条件下に配列しているのを見ました。

  右に述べました私の二つの感想を、最後に纏めて申しますと、国語の歴史は西洋諸国語のそれとは自ずから異なったものでありますから、その特質を明かにすることによって、西洋言語学とは別個の言語学を生み出し得るのではないかという予想と、ローマ字ならざる意文字が主要な要素となっている言語の研究には、文字の言語に働く作用役割というものを充分に研究してかからねばならないということであります。以上甚だ纏まらぬことを述べましたが、皆さんのご意見を伺いたいと思います。       (『国語学への道』:七 東京大学国語研究室会における談話―国語学の方法論に対する一の提案―)■

  
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