2015年05月27日

山田孝雄(やまだ よしお)の<助動詞>「複語尾」説 5

    <動詞>の陳述作用論による誤謬の展開と山田文法の意義

 「複語尾」なる誤りの根源は属性表現である<動詞>が陳述を担うという誤りから生まれたものですが、この<動詞>陳述説が生み出す誤りはそれだけにはとどまりません。先に挙げた一語文、体現止め、喚体の文等で陳述を担う語がなくなってしまうわけですが、感動詞の場合、

  そう■ね。

であり、客体的表現だけの、

  人がいる■。

も、「いる」が陳述の表現を表していることにせざるを得なくなります。つまり、内容と形式を無理やり一致させることになります。時枝の零記号は、内容と形式との間に矛盾が存在することを認め、乖離しうることを認めることに他なりません。形式論理という形而上学にしがみついていては言語の事実を解釈することは出来ないことを示しています。さらに、

  a. 本がある■。
  b. 本である■。

の場合、時枝はa.は存在を表す<動詞>ですがb.の「ある」は判断の<助動詞>で属性表現とは性格の異なる辞であることを指摘しています。つまり、詞から辞へ転成したものと見なければなりません。ところが、山田は「ある」を存在の属性と陳述の兼備だけではなく、判断単独で使う場合もあると解釈し、b.の「ある」を存在詞と名付けています。さらに、イ形容詞、ナ形容詞、形容動詞の問題へ発展していきますが、それでも山田文法から引き継ぐべき点は多く、現在再評価の動きがあります。が、残念ながら本来正すべき点を評価し、受け取るべき遺産を評価できないという逆立ちした状況にあります。釘貫亨著『「国語学」の形成と水脈』(ひつじ研究叢書<言語>編 第113巻 2013.12)や『山田文法の現代的意義』(斎藤倫明・大木一夫編:ひつじ書房 2010/12/24)等もそうした書です。

 参考までに、今から40年前の1975.2月刊の雑誌『試行』に発表された三浦つとむ稿「日本語のあいのこ的構造」から山田文法について記された一部を転載しておきます。


 山田孝雄の文法論には理論的な弱点がある。一語として扱うべき<助動詞>を語尾と解釈して<複語尾>とよんだり、<動詞>の「ある」と<助動詞>の「ある」を一括して<存在詞>とよんで<助動詞>の「だ」や「です」もここに入れたり、<形式名詞>の「の」を<格助詞>と解釈したり、訂正しなければならぬところが多い。それにも拘らず彼の問題意識は抜群であるし、それらは必ずしも後の学者に受けつがれていないのである。時枝誠記は山田の誤りを是正する仕事で大きな成果をあげたけれども、提出されている問題を受けとめることができずに山田から後退しているところもいろいろある。それゆえ、山田の文法論を理解できずに骨董扱いにすることには、私は反対である。
 欧米の言語学者あるいは左翼的哲学者の言語論は科学的・革新的で、国語学者の言語論は非科学的・保守的だという偏見も、まだ根強いようである。左翼的な学者や教科研文法を支持する教師にとって、皇国イデオロギーを鼓吹した国語学者の著書などは科学的精神とは無縁のものだと思えるかもしれない。山田が明治四十一年(一九〇八年)に公刊した大著『日本文法論』の序論をみよう。

 凡、学問の成るは一朝一夕の故にあらず。必、其の由って来る所あるべし。而して其の一学説起るや、此れが短所を見て、茲に反対説生じ、更に、二者の総合説生じ、又反対生じとようにかの「ヘーゲル」の説きけむ弁証法の如き順序を以て進歩するものならむ。さても人の心の構造は一なり。人の考へ出すこと、多少精粗の差こそあれ、大体に於いてはしかく背違すべきものにあらず。今若学説の沿革を究めずして、直に自家の説を述べむか、時に或いは自家の創見なりと負めるものは既に幾十年の昔に古人が道破せしものなるをき々て呆然たることなからむや。これを以て、吾人は主として主要なる学説を歴史的に略説し、其の取るべきは取り、誤れるものは其の過を復せざらむ注意として、しかも之を自家立脚地の予示とせり。諺にいはずや、羅馬は一日にてはならざりきと。吾人がこの論も又先哲諸氏の苦心経営の結果なり。苦心惨憺の経営になりし先哲諸氏の説を何の容赦もなく攻撃追求するは頗る礼を欠くに似たりといえども、学問は交際によりて左右せらるべきものにあらず。また学問のことは師にだに仮さず。況んや先哲の説を補い、その説を訂すは、これ即進歩の宿る所にして、しかも先哲の本願ならずや。吾人は先哲の人格に対して満腔の熱誠を以て尊敬の意を表す。然れども学説の非に至りては毫末も寛仮せざるべし。それ学問は天下の共に議すべき所、一人の私すべきものにあらず。
 
 これが学者の態度であって、言語を解釈するだけのホコトン哲学者たちは学者の名に値しない。さらに山田のこの著書の巻頭には、本居宣長の『玉かつま』のことばが掲げてある。

 吾にしたがいて物まなばむともがらも、わが後に、又よきかむがへのいできたらむにはかならずわが説にななづみそ。わがあしきゆゑをいひてよき考えをひろめよ。すべておのが人ををしふるは道を明らかにせむとなれば、かにもかくにも道をあきらかにせむぞ吾を用ふるには有ける。道を思はでいたづらにわれをたふとまんはわが心にあらざるぞかし。

 『毛沢東選集』にはこのようなことばがない。毛沢東主義を批判すると「階級敵」「反革命分子」として粛清される。日本の国学者の学問する態度は、中国の自称マルクス主義者よりも科学的であり、マルクス主義の精神に近かった。


  尾上圭介の誤りについては、「語列の意味と文の意味」という昭和五十二年発表の論文で詳細に検討することにし、複語尾説はここまでにして、時枝の『国語学原論』へ至る道に戻ることにしましょう。■

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