この節では、「動詞の現在形で、現在形は次に示すように、現在時と未来時の両方を指すことができます。」と、次の例文を挙げています。
(7) a.私は花子が好きだ。 [現在時]
b.太郎はフランス語が分かる。 [現在時]
(8) a.彼は明日ロンドンへ出発する。 [未来時]
b.太郎は来年大学を卒業する。 [未来時]
したがって、現在形は、現在時と未来時の両方を表すことが出来る、と結論しているわけですが、ここで、(7)と(8)の決定的な違いは前者が「状態動詞」、後者が「動作動詞」であると奇妙なことを記しています。さらに、状態動詞の現在形は、次に示すように、未来時をあらわすことができません(【付記1】参照)、として次の文を挙げています。
a.*この車は来年古い。
b.*太郎は来年フランス語が分かる。
ここで、まず誤っているのは、(7a)の「好き」は動詞ではなく形容詞です。「好きだ」の「だ」は断定の助動詞です。a.の「古い」も形容詞です。なぜ、こんな初歩的な誤りが記されたのかは容易に推測できます。英語はSVO構文で、必ず主語と述語よりなり、述語は動詞Vなので、機械的にそれを日本語に適用してしまったためです。「*」は生成文法で使用する「非文」の表示です。これは主観的な判断であるだけでなく、そのために文字通り、文ならざるものを機械的・形式的に作成し文のごとく提示するという悪弊を生みだしていることに気づいていません。a.の文は、「古い」を「状態動詞」と思い込み、機械的・形式的に「この車は」という句に続けて並べただけの語の羅列で、対象を認識し表現した文ではないのです。b.も同様です。このような、機械的・形式的なプラグマティックな発想が生成文法の本質です。文として、これらを記せば、
a.この車は来年には古くなる。
b.太郎は来年にはフランス語が分かる。
で、何ら問題のない文となります。「なる」は抽象動詞と呼ぶべきですが、現状は形式動詞と呼ばれています。「状態動詞の現在形は、次に示すように、未来時をあらわすことができません」などというのが誤りなのは明確で、生成文法なる発想の本質が明らかとなります。先の、【付記1】は次のように記されています。
ただ、状態動詞の現在形は未来時を表すことができないという制約は、次のような文が適格であることから、コピュラ(連結詞)で終わる形式には適用しないように思われます。
(i)a.母は来年米寿です。
b.私は来年の夏、ひとりぼっちです。
「コピュラ」とは繋辞で英語の場合「be」動詞で、判断辞です。「be」動詞はThere is a pen.の存在詞でもあるのですが、この点が著者に理解されているのかは後で分かります。この、(i)の2文の「です」は「状態動詞」ではなく、断定の助動詞「だ」の丁寧形です。「適格」などという判断も「非文」と対をなす主観的判断で、何ら論理的ではありません。この【付記】も、「状態動詞の現在形は、次に示すように、未来時をあらわすことができません」という誤りの根源が論理的に理解出来ずに、例外的な扱いでエクスキューズを記したものに他なりません。
ここでは、著者らの生成文法による日本語理解がいかに言語事実に相違した非論理的、非科学的な内容であるかが露呈しています。これらは、屈折語である英語の文法の誤りを機械的に日本語に適用した誤りであることもまた明らかにしています。これでは、日本語はもとより、英文法の謎ときなど不可能というしかありません。どのような謎ときになるのか、さらに追及していきましょう。■