2015年07月25日

新聞記事に見る時制表現について

 工藤 真由美著『現代日本語ムード・テンス・アスペクト論 (ひつじ研究叢書(言語編)111)』では時制を次のように定義している。

   <発話時>を基準にして、事象が発話以前に起こったのか否かを義務的に表し分ける文法的カテゴリーが<テンス>である。 

 また、バーナード コムリー  (), Bernard Comrie (原著), 久保 修三 (翻訳)『テンス』(開拓社 :2014/9/19)では、

  ①直示中心、②事象が直示中心より前なのか、後なのか、③事象が位置づけられる直示中心からの時間的距離について議論され、この直示(Deixis)の中心を任意の参照点として確立するためにもっとも典型的なものとして発話状況を上げている。そして、テンスは状況を現在時点と同じ(あるいは現在時点を含んでいる)時間か、現在・の前か、または現在点の後かに位置づける

 としている。いずれも、<発話時>を基準にして、それ以前を単純に過去と定義している。この定義に基づいて今日の新聞記事を検討してみよう。 

 自己ベスト一直線 2020年東京オリンピックまで5年  20157250500分 朝日新聞

 力強い踏み切りで大技 女子高飛び込み・板橋美波(15歳)

  404・20。掲示板に合計得点が表示されと、観客席がどよめい 

 6月に東京辰巳国際水泳場であっ飛び込みの日本室内選手権。女子高飛び込み決勝で、15歳の板橋美波(みなみ)が、日本女子初となる400点超えをマークして優勝し。2012年ロンドン五輪では銀メダル、13年の世界選手権では1位相当の好記録に「思わず、跳びはねてしまっ」。151センチの体をいっぱいに使って喜ん

  兄の影響で小学1年から水泳教室に通い始め。3年のときに飛び込みに誘わ、1カ月間の体験からスタート。走ってプールに飛び込練習が楽しくて夢中になっ。世界選手権銅メダリストの寺内健らを育て馬淵崇英(すうえい)コーチ(51)の指導を受けて才能を伸ば、24日開幕の世界選手権の日本代表に選ばれまでに成長し

  「踏み切力が、他の女子選手に比べてとても強い」と馬淵コーチ。日本水泳連盟の伊藤正明・飛込委員長は「彼女には恐怖心がない」。前宙返り4回半抱え型は、女子では現時点では板橋しかできない大技だ。6月の日本室内選手権でも成功させて96・20点の高得点をたたき出、400点超えにつなげ

  日本は、男女を通じ飛び込みの五輪メダルはない。ときに1日10時間を超え練習で目指すものは。「リオデジャネイロでは決勝に残って入賞できたらうれしい。そして、東京では金メダルを取たい」。力強く答え。(清水寿之)

  この記事では、発話時点は記者(清水寿之)が「自己ベスト一直線…」という記事を書いた時点ということで、これが現在ということになるであろう。そして、上に赤字で表示した時制を示す助動詞が「た」の場合は事象が過去に起こったことを示し、そうでない場合は現在の事象ということになる。しかし、これを現在とすると次の、「■力強い踏み切り…」は現在事象か過去の事象であろうか。この定義では、現在ということになってしまうであろう。それとも動詞は明示されていないので時制は表示されていないということか。この発話事体は記者によるもので、その意味で発話は現在であるが、事象「力強い踏み切り」は明らかに過去であろう。しかし、過去形に記すのであれば「力強い踏み切りで大技(をしめし。)」としなければならない。上記の時制の定義では、もうここで説明不能となってしまうのである。次の文を見てみよう。 

  404・20。掲示板に合計得点が表示されと、観客席がどよめい 

ここでは、「表示され」で現在形になっていて、文末で「どよめい。」と過去形になっている。先の定義では、現在と過去が入り混じることになる。この点はどう解釈されるのだろうか、ここは歴史的現在、あるいはテンスとアスペクトの二元説、あるいは相対時制で直示中心を振り分けることになるしかない。

 これが、教科研文法、西欧屈折語文法という形式主義文法の時制論の実態で、新聞記事一つ満足な説明が出来ないのである。国文法、日本語教育文法なるものも同様である。

 では、言語過程説ではどのように理解されるのであろうか。三浦は『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫 1976.6.30/初出1956.9)の「<助動詞>の役割」の「b 時の表現と現実の時間とのくいちがいの問題」で次のように述べている。

   過去現在未来は、属性ではなく、時間的な存在である二者の間あるいは二つのありかたの間の相対的な関係をさす言葉にほかなりません。……過去から現在への対象の変化は、現実そのものの持つ動きです。これを、言語は、話し手自身の観念的な動きによって表現します。ここに、言語における「時」の表現の特徴があるのです。……

 言語で表現する現在は、現実の現在ばかりでなく、観念的に設定した過去における現在や未来における現在、あるいは運動し変化する対象と行動を共にするかたちでの現在などいろいろなありかたをとりあげています。時制と時は無関係ではないし、また非論理的な表現でもないのです。話し手はその感ずるところを素朴に表現しているにもかかわらず、きわめて合理的であり論理的なものだということを理解しなければなりません。

   これによれば、「力強い踏み切りで大技」と、6月の事象を記者はタイトルで現在形で記しているが、このとき記者は観念的に6月の時点に移行し事象と向き合っているので現在形で記している。これは、事件の記事などでも過去の事象がタイトルで現在形に記され臨場感を齎すのと同じである。これを読む読者もまた、その事象に対峙していることになる。TVで、その場面を見ているのと同じ状況である。そして、記者はそのまま次の「404・20。掲示板に合計得点が表示されと、観客席がどよめい」まで過去のまま事象に対峙しており、ここから記事を書いている現在に戻り、(どよめい)「」と、それまでの事象が過去であったことを表現している。すなわち、過去の助詞と言われる「た」自身は観念的に移動した過去から現在に戻り、実際の生身の記者に合体した現在を表している。そしてまた過去に移行し、そこから戻り「た」と表現している。「兄の影響で小学1年から…通い始め」も過去に戻っており、「た」で現在に戻りる。また、過去に向き合い「3年のときに…」から「夢中になっ」までは過去に移行して現在として対峙しているため現在形で記され、(夢中になっ)「た」で現在に戻っている。そして、会話の引用内はその会話の時点に対峙しているので話者の言葉がそのまま引用されています。最後は、「力強く答え。」と現在に戻り過去を表す「」で締めくくられている。

 ここでは「話し手」は「記者」であるが、三浦の記す通り「話し手はその感ずるところを素朴に表現しているにもかかわらず、きわめて合理的であり論理的なものだということを理解しなければなりません。」ということが良く理解できる。

 このように、文、文章の中での複雑な記者の観念的な運動を形式主義的に―<発話時>を基準にして、事象が発話以前に起こったのか否かを義務的に表し分ける文法的カテゴリーが<テンス>である。―などとする理解がいかに言語事実と相違する誤謬であるかが分かる。■

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