①「 感情動詞の補語についての一考察―「ニ」と「デ」について」村上佳恵(2010)
②「ニ格とデ格の交替について」張 麗(2013)
③「感情動詞におけるニ格とデ格の交替について」張 麗(2014)
まず、①について、詳しく検討してみましょう。次のように問題が提起されます。
感情動詞には、「子を愛する」のようにヲ格をとるものと、「金に困る」のようにニ格をとるものがあり、後者については、「ニ」と「デ」の言いかえが可能な場合があることが指摘されている。
(1)a 人手不足に悩む b 人手不足で悩む (作例)
(2)a 地震に驚く b 地震で驚く (作例)
「ニ」と「デ」を言いかえることができる場合があるのは、述語が感情動詞の場合、「ニ」が「感情の動きの誘因」を表す(寺村1982:139)とされ、「デ」が多くの用法のひとつとして、「原因」を表すことがあるためと考えられる。しかし、次のように、「デ」に言いかえることができない「ニ」があることも事実である。
(3)a 彼女の優しさに驚いた b ?彼女の優しさで驚いた。 (作例)
本稿では、感情動詞の補語をマークする「ニ」が、どのような場合に「デ」に言いかえることができるのかを考察する。
まず問題になるのは、「言い替え」とは何を言っているのかです。「問題の所在」で、「言いかえることができる」のは<「ニ」が「感情の動きの誘因」を表>し、<「デ」が多くの用法のひとつとして、「原因」を表すことがあるためと考えられる>と記すように、用法が異なった表現ではあるが「非文」や「不自然」でなければ「言いかえ」が成立すると見なされていることです。表現としての言語として見れば、用法が異なるということは話者の認識が異なるのであり、当然のこととして、表現された文の意味は異なります。つまり、「言いかえ」ではありません。これを「言いかえ」と見なすには、その認識の対象である事実が同じと判断し、認識を無視する他ありません。そして、この、事実が同じか否かの判断は、その文が「非文」か「不自然」かという論者の主観的判断によるしかありません。ここに、これまで指摘してきた形式主義言語論であり、プラグマティックな発想に依拠する生成文法の本質が示されています。
実際に、<2.2 「二」と「デ」について>の最後で、
まず、<2 先行研究と考察の対象 2.1 格助詞「デ」について>を見ましょう。最初に次のように記しています。
生成文法の発想は、現象、機能を本質と取り違えるところから始まっていると思われます。「2.」の纏めは、先の結論となります。
「地震に驚く」の「地震」は「感情の対象」と言えるであろう。そして「地震で驚く」と言った場合は、「地震」は「驚く」の「原因」である。つまり「地震」は「驚く」の「感情の対象」であり、かつ「原因」でもあるのである。「二」をどのような場合に「デ」に言いかえることができるか、という問題は、「感情の対象」がどのような条件を満たせば「原因」と言えるのかという問題である。■