2015年10月15日

形式主義言語論の「壁塗り交替」という現象論 (3)

     「 感情動詞の補語についての一考察 ―「ニ」と「デ」について」(1)

  作用を表す動詞に関する「壁塗り交替」という現象論を見ましたが、感情動詞の補語、あるいはニ格~デ格の格交替の問題を考察している国語学、日本語学の論考があります。本質的には同じ問題ですが、これらの論を見てみましょう。

①「 感情動詞の補語についての一考察―「ニ」と「デ」について」村上佳恵(2010

②「ニ格とデ格の交替について」張 麗(2013

③「感情動詞におけるニ格とデ格の交替について」張 麗(2014

まず、①について、詳しく検討してみましょう。次のように問題が提起されます。

 1 問題の所在

 感情動詞には、「子を愛する」のようにヲ格をとるものと、「金に困る」のようにニ格をとるものがあり、後者については、「ニ」と「デ」の言いかえが可能な場合があることが指摘されている。

 (1a 人手不足に悩む      b 人手不足で悩む   (作例)

 (2a 地震に驚く        b 地震で驚く      (作例)

「ニ」と「デ」を言いかえることができる場合があるのは、述語が感情動詞の場合、「ニ」が「感情の動きの誘因」を表す(寺村1982139)とされ、「デ」が多くの用法のひとつとして、「原因」を表すことがあるためと考えられる。しかし、次のように、「デ」に言いかえることができない「ニ」があることも事実である。

 (3a 彼女の優しさに驚いた   b ?彼女の優しさで驚いた。  (作例)

本稿では、感情動詞の補語をマークする「ニ」が、どのような場合に「デ」に言いかえることができるのかを考察する。

  ここでも、<「二」が、どのような場合に「デ」に言いかえることができるのか>と「言い替え」の問題として捉えられています。この論考は、<感情動詞の補語をマークする「ニ」>と格助詞「ニ」が「補語のマーカー」とされるように生成文法に依拠しています。そして、<用例の「*」は、その文が非文であること、「?」は不自然であることを示す。>と、先に生成文法の主観的判定基準として指摘した「非文」が出て来ます。

まず問題になるのは、「言い替え」とは何を言っているのかです。「問題の所在」で、「言いかえることができる」のは「ニ」が「感情の動きの誘因」を表し、「デ」が多くの用法のひとつとして、「原因」を表すことがあるためと考えられる>と記すように、用法が異なった表現ではあるが「非文」や「不自然」でなければ「言いかえ」が成立すると見なされていることです。表現としての言語として見れば、用法が異なるということは話者の認識が異なるのであり、当然のこととして、表現された文の意味は異なります。つまり、「言いかえ」ではありません。これを「言いかえ」と見なすには、その認識の対象である事実が同じと判断し、認識を無視する他ありません。そして、この、事実が同じか否かの判断は、その文が「非文」か「不自然」かという論者の主観的判断によるしかありません。ここに、これまで指摘してきた形式主義言語論であり、プラグマティックな発想に依拠する生成文法の本質が示されています。

実際に、22 「二」と「デ」について>の最後で、

 「二」をどのような場合に「デ」に言いかえることができるか、という問題は、「感情の対象」がどのような条件を満たせば「原因」と言えるのかという問題である。

 とされ、「感情の対象」である、事実あるいは想像の条件を検討することになります。しかし、対象と認識は相対的に独立しており、さらに認識と表現もまた相対的に独立しています。そして個別の対象は多様な、属性、構造、関係をもっています。このような方法での検討に意味があるとは思えません。生成文法に依拠する発想、論理がどのようなものであるか、以下少し詳しく見てみましょう。

 まず、2 先行研究と考察の対象  21 格助詞「デ」について>を見ましょう。最初に次のように記しています。

  格助詞の「デ」は、前にくる名詞句と、後ろにくる述語の意味によって、さまざまな用法があることが知られている。

  格助詞の用法、つまり機能が「前にくる名詞句と、後ろにくる述語の意味によって」決まるとされます。つまり、格助詞自身が意味をもっているのではなく、無限にある文の中で前後の関係から用法が決まると言っています。それは多分、人間がもっている普遍文法が決めるとでも考えるしかないのかもしれません。単語の意味、意義とは規範であり、助詞とは主体的表現の語であり、客観的な対象の持つつながりの認識の表現とみなす言語過程説の立場とは全く逆の発想といわねばなりません。言語とは、このような規範を媒介とした話者の認識の表現で、このような規範なしに表現も受け手の理解も成立しようがありません。

生成文法の発想は、現象、機能を本質と取り違えるところから始まっていると思われます。「2.」の纏めは、先の結論となります。 

「地震驚く」の「地震」は「感情の対象」と言えるであろう。そして「地震驚く」と言った場合は、「地震」は「驚く」の「原因」である。つまり「地震」は「驚く」の「感情の対象」であり、かつ原因」でもあるのである。「二」をどのような場合に「デ」に言いかえることができるか、という問題は、「感情の対象」がどのような条件を満たせば「原因」と言えるのかという問題である。■

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