2015年10月27日

形式主義言語論の「壁塗り交替」という現象論 (10)

  「感情動詞の補語についての一考察 ―「ニ」と「デ」について」(8)

「自分自身の大胆さびっくりしています。」や「誘いの激しさ驚いた。」がやや不自然に感じられるのは、「~さ」という形容詞の名詞化用法について考えねばなりません。

 実体の固定・不変の属性を表現する形容詞の、その属性の存在自体を独立の対象として扱う場合に質的に扱う場合と実体化・凝結化して把握し量的に扱う二つの場合があります。質的に捉えた場合は「暖かみ」「痛み」と接尾語<ミ>を付けますが、量的な把握では、<サ>を付けます。「暖かさ」「痛さ」「楽しさ」などです。

 この場合、具体的な量そのもは「高さ20センチ」とか「重さ100キロ」というように表します。しかし、単位がない場合は、「可愛あまって憎さが百倍」のように比較やら、比喩で示すしかありません。最初の「大胆さ」の場合は「思いもよらない大胆さ」や、「激しさ」では「常軌を逸した激しさ」などと言います。このように、具体的になれば因果関係の原因と認識できるので、「自分自身の思いもよらない大胆さびっくりしています。」とか、「常軌を逸した激しさ驚いた。」と表現しても不自然さは感じません。最初の「1 問題の所在」で示された例文、「彼女の優しさに驚いた。」も、「彼女の優しさで驚いた。」は不自然ですが、彼女の言い尽せない優しさで驚いた。」と驚きの原因が具体的であれば自然な表現になります。このように、単なる「対象」を指す「に」に対し、「原因」を喚起する「で」の場合は因果関係にふさわしい具体性がないと不自然に感じます。

 <[外的原因]ではない場合は、「デ」は使いにくいが、判定詞の「デ」と解釈することができれば、「デ」も使うことができることを見た。>などというのは、先に見た通り藪睨みというしかありません。

 続いて、「42 おびえる」をみましょう。

       次に、「おびえる」を見てみよう。「おびえる」の「デ」の用例は少ない。

 (29)でも敏感な子で、空襲などでおびえるとそのあと、おねしょをするの。(『月夜野に』)

 (29)の「空襲」は、[外的原因]と言えるだろう。このように、「おびえる」も[外的原因]の場合は、「デ」を使うことができる。もちろん、次の(30)のように、[外的原因]でも「二」を使うことができる。

 (30)避難所では、お年寄りが身を寄せ合い、相次ぐ余震におびえていた。(読売007. 12. 25

 (30)は「相次ぐ余震」であり、「余震」は、感情の主体の外部で、感情が動いた時点にすでに起きたこと(起きていること)であり、[外的原因]と言える。

 次に、「おびえる」の「二」の用例を「デ」に言いかえることができるか見てみると、次の(31)(32)は、「デ」を使うことができない。

 (31) 中学生になり、私は初潮を迎えた。すると、母は私の妊娠に{*で}怯えはじめた。『私』)

 (32) また他の人々はに{*で}おびえ、恐怖から生命を捨てた。(『マハーバーラタ』)

 (31)は、「私の妊娠」がこれから起きることに対して、「おびえている」のであり、「私の妊娠」は、まだ起きていない。(32)も、これから「死」が訪れるであろうことに「おびえている」のである。このようなまだ実現していないことは[外的原因]とは言えず、「デ」を使うことができない。これは、まだ起きていないことは「感情の対象」ではあっても、「原因」ではないということである。

 以上、「おびえる」も「驚く」「びっくりする」と同じように、[外的原因]の場合は、「デ」を使うことができることを見た。

 これらは[外的原因]ではなく、可能性又は恐怖であり、「母は私の妊娠の可能性に{で}怯えはじめた。」「また他の人々は死の恐怖に{で}おびえ」の省略と見なすべきものです。続いて<4.3 困る・苦しむ・悩む・迷う>を見ましょう。

   次に「困る」「苦しむ」「悩む」「迷う」について見てみよう。「困る」等は、「驚く」等とは異なり、[外的原因]か否かということで「デ」の使用の可否が決まるとは言えないことを指摘する。

 まず「困る」は、次のような例では、「デ」を使うことができない。

 (33)みなが目のやり場に{*で}困った。光っていたはずの頭に、カツラが載っていたのだ。(『空中ブランコ』)

 (34)とたんに私の怒りがどこかにふっとんでしまった。何という正直な、子供っぽい、すなおな、純な魂を持った人間か。私は返答に{*で}困った。(『友を偲ぶ』)

 (35)高橋さんは520日早朝、自宅近くの小山川に仕掛けていた通り網(長さ45メートル、直径60センチ)に巨大なサンショウウオが入っているのを見つけた。自宅に持ち帰ったものの扱いに{*で}困り、さいたま水族館などに連絡。(読売20070613

 (33)~(35)は、それぞれ「目のやり場」「返答」「扱う方法」が無いことによって感情が動いたことを表している。このように、二格名詞句が無いことによって感情が動いたことを表すものを[欠乏]と呼ぼう。「困る」は[欠乏]の場合、「デ」を使うことができない。

  たしかに「目のやり場がないの」「返答のしようがないの」「取扱」困ったのですが、二格名詞句が無いことによって感情が動いたのではなく、どう対応して良いか困ったのであり、結果的に対応方法が無くて困ったのです。ここでも、<[欠乏]の場合、「デ」を使うことができない>のではなく、因果関係としての表現が十分ではないために形式的に「デ」としたのでは、不自然に感じるだけなのです。「デ」としても、意味が通じないわけではありません。因果関係としての表現が十分ではないため不自然な感じがするだけです。

  
Posted by mc1521 at 18:29Comments(0)TrackBack(0)