2015年12月09日

助動詞「だ」について(19)


〔『名古屋大学言語文化論集』 第22巻第2号(名古屋大学言語文化部・国際言語文化研究科:2001.3)〕

   <助動詞>「だ」の捉え方(6)

  「2.主観性 2.1 命題とモダリティ」の最後に次のように記されています。
 ここで注意しておきたいのは、(3)で空から落ちてくる水滴を「みぞれ」や「雪」ではなく「雨」と捉えたり、(4)で雨の激しさを「相当」や「ずいぶん」ではなく「かなり」と捉えたりするのも、話し手の主観によると言えなくもないということである。しかし、これらの表現は話し手が客体世界の事態として切り取ったものであるため、本研究では客観的な成分であると考える

 ここでは「雨」や「かなり」が「話し手が客体世界の事態として切り取ったもの」で「客観的な成分」とされていますが、これは言語規範としての語の辞書的な意味、つまり語彙と話者の認識の表現としての文の中での語の意味の関連と相違が正しく理解されていないことを明かしています。

 前回も指摘した通り、「雨だよ。」の「雨」と「だ」を切り離し、「雨」を命題としてしまうのも同様の誤りです。そもそも文の本質が解明できないために、文を「命題とモダリティ」の煉瓦的な積み重ね、つまり機械的な集まりと見なすことになってしまっています。命題とは論理学での用語であり、大辞林第三版では、「〘論〙 判断を言語的に表現したもの。論理学では真偽を問いうる有意味な文をさす。また,その文が表現する意味内容をさす場合もある。」となっています。つまり、命題は文の一形態であり、特殊な文を指しています。従って、判断が表現されていなければ文でも、命題でもないことになります。

「雨!」が一語文であるのは、「雨■!」と、表現されていない肯定判断との組み合わせにより一語文となるのであり、「客観的な成分」である「雨」は言語規範としての辞書的な意味の語でしかありません。この表現されていない肯定判断が表現されたのが、「雨だよ。」の<助動詞>「だ」であり、これを「雨」と「だ」に各々分離して命題とすることはできません。ここでは、辞書的な語の語彙と文に表現された語の意味が理解できずに同一平面上に並べられています。

 このように、文の本質が理解できずに語、文と、語の意義と文の意味の関連と相違が理解されていないため、文を「命題とモダリティ」に分解するしかなくなります。これまで見てきたように、語とは何か、品詞分類の基準と定義も解明できないため、「モダリティ」自体が、語の意義であるのか、句、文での意味なのかが曖昧なまま論じられています。それ故、「22 命題とモダリティの分類基準」でも、機能的な基準が示されます。

  モダリティは発話時点における話し手の心的態度を表すため、それ自体は真偽の対象とならず、連体修飾成分にもならず、過去文の対象にもならないという性質をもつ。一方、命題にはこうした制限が加わらない。

 そして、これが「主観性判定テスト」なる正に主観的な非文か否かという基準で判断されることになります。この「主観性判定テスト」の結果、 
「雨だよ」という表現のうち「雨」の部分は命題に属し、「だ」と「よ」の部分はモダリティに属すことが確認された。

と、「雨」の部分が「命題に属し」ているとして「雨」と「だ」が機械的に分離されることになります。先にも見たように、「雨だ。」は客体的表現である「雨」と主体的表現である「だ」が話者の認識により累加されて表現されたところに成立するのであり、命題とモダリティとは次元を異にしています。

これまで、論じてきたように「だ」は、主体的表現の肯定判断を表す単語であり、語のもっとも基本的な区分はこの主体的表現と客体的表現にあるのですから、モダリティ(法性)は主体的表現の語について論じられなければならないことになります。というより、語の本質的な区分が出来ないために「主観表現論的モダリティ論」と呼ばれる中途半端な概念が提起されることになったと言えます。そして、「(9) 雨だろうか。」についても次のような解釈が示されます。

 しかし、この表現で疑問の対象となっているのは、「~だろう」の部分ではなく「雨」の部分である。その証拠に「雨」と「雪」を対比した文は成り立つが、「~だろう」と「~φ(無形の確言形)」を対比した文は非文となる。

10) 雨だろうか、雪だろうか。

11)*雨だろうか、雨か。

「~だろう」はこれまで何度も指摘してきたように<助動詞>「だ」の未然形「だろ」+<推量の助動詞>「う」で、肯定と推量という各々まったく異なった認識を表しています。これを一緒くたにして、「~だろう」と「~φ(無形の確言形)」を対比するという誤りを犯しています。「~φ(無形の確言形)」とは零記号の判断辞でなければならず、比較するのであれば、「雨だか、雨■か。」でなければなりませんが、そもそもこのような「主観性判定テスト」自体に意味があるとは思えません。■

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