2015年11月13日

助動詞「だ」について(10)

談話レベルから見た「だ」の意味機能―「だ」の単独用法を中心に―」〕劉 雅静
言語学論叢 オンライン版第 3 号 (通巻 29 号 2010)
   <助動詞>「だ」の自立した使い方について(2)

 <(b) 形式上、「だ」は多くの助動詞に見られない単独用法を持つ。>とされる、「多くの助動詞」との差異について検討してみます。まず、次の指摘です。

 次の例(8)が非文であるように、同じく助動詞とされる「た」や「ない」「たい」「れる (られる) 」「せる (させる) (用言にしか接し得ない類のもの) は、自立語に付属しないと単独では使えない。

(8) A:昨日行ったよね。

B* たよ。

これは、<過去・完了の助動詞>「た」ですが、生成文法のプラグマティックな発想で「非文」と指摘するのみで、何故なのかを明らかにしていません。これまで、何度も指摘してきた通り過去の事態は話者の眼前にはなく直接対峙はできません。これに対峙するためには話者の観念的な自己分裂により過去に移行して過去の対象と対峙し認識、表現した後、現在に戻ってからそれが過去であることを示すために「た」と表現します。つまり、「た」と表現しているのは現在です。従って、過去と指摘すべき対象の認識、表現なしに「た」と言う事はありえないのです。一旦、過去への観念的な自己分裂による移行、認識があって後に「た」が表現されるのであり、そのような観念の運動なしに「た」だけが表現されることはありえないということです。否定の「ない」も同様で否定すべき対象の想像、認識なしに否定はできません。希望も同様です。そこに肯定判断との本質的な差異がありますが、主体的表現としての助動詞であることには変わりありません。受身謙譲可能使役が接尾語であることは既に指摘した通りです。

 次は、以下の通りです。

 一方、「らしい」や「だろう/でしょう」(体言と用言の両方に接し得る類のもの) といった助動詞には「だ」と似たような単独用法を持っていることが観察される。……一見「だ」の単独用法に似ているように見えるが、実際に幾つかの相違点が見られる。第一に、「らしい」「だろう/でしょう」はその前後に何も接せずに裸の形で用いられるのに対して、「だ」は裸の形では用いられない。

 第二に、次の例 (12) が示すように、単独の「だ」は補文内に現れるが、「らしい」「だろう/でしょう」

は単独では補文内に出現できない。第三に、各形式の単独用法以外の特徴であるが、「らしい」「だろ

う/でしょう」は直接動詞に接続できるが、日本語の標準語では「だ」は直接動詞に接続できない。

  第一の、「らしい」「だろう/でしょう」はその前後に何も接せずに裸の形で用いられる、というのは、「だろう」が<指定の助動詞>「だ」の「未然形」「だろ」+<推量の助動詞>「う」であり、「でしょう」が「です」の未然形「でしょ」に<推量の助動詞>「う」の付いたもので「だろう」の丁寧語であり、単独の「だ」の使用法に他なりません。また、「だ」が裸の形では用いられないのは次のような事情です。

通常、判断辞は零記号として表現ないことになっていますが、敬語化すれば表面に現れます。

  本がある■。→ 本があります。    本である■。 → 本であります

また、方言では「本があるだ。」という使い方をします。このため、方言では「んだ!」という「裸の形」で使用されますが、普通は、「そう■!」→「そうだ。」「そうです。」となり、「裸の形では用いられない」のです。このように、肯定判断は省略されやすいので「だが、それは……」のような会話でも「■が、それは……」と追体験の追判断が零記号となる時があります。

 また、「と思うんだけどね。」を例に上げて、「らしい」「だろう/でしょう」は単独では補文内に出現できないとしています。これは、「らしい」「だろう」+「と思うんだけどね。」とは繋がるが、丁寧形の「でしょう」とは、「でしょうと思うんですけどね。」と使用できなくはありませんが、「らしい」「だろう」「でしょう」が推量を表すため、「思う」と意味的に重なるところがあり、やや不自然さを感じます。

 第三は、<各形式の単独用法以外の特徴であるが、「らしい」「だろう/でしょう」は直接動詞に接続できるが、日本語の標準語では「だ」は直接動詞に接続できない>です。これは、「彼は家を買うらしい。」「彼は家を買うだろう。」「彼は家を買うでしょう。」とは言えるが、「彼は家を買うだ。」とは言えないと言っているようですが、全くの誤りであるのはこれまでの説明で明らかと思います、

 「彼は家を買うだろう。」は、「だ」の「未然形」「だろ」+「う」で「だ」が直接動詞に接続しています。「彼は家を買うでしょう。」は、この丁寧形です。そして、「彼は家を買う■。」の場合は零記号となっており、丁寧形になれば、「彼は家を買います。」と<敬辞>「ます」が表現されます。

 このように、すべて形式的、機能的な誤った解釈によるもので、何ら肯定判断を表す<指定の助動詞>「だ」の品詞の性質が「らしい」「だろう/でしょう」のそれと異ってはいません。語の認定、品詞分類自体が誤っていることが理解されていません。■

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