2015年11月14日

助動詞「だ」について(11)

談話レベルから見た「だ」の意味機能―「だ」の単独用法を中心に―」〕劉 雅静
言語学論叢 オンライン版第 3 号 (通巻 29 号 2010)
      <助動詞>「だ」の自立した使い方について(3)

 これまで、<「だ」はいわゆる助動詞ではなく、特殊な用言であることを物語っている>と言う解釈が誤りであり、「特殊な用言」ではなく正に助動詞であることを見てきました。この誤った、結論に基づき、

  「だ」自体は実質的な意味を持たないにもかかわらず、談話の中で文脈や発話状況を受けて、自立語などを代用して実質的な意味を指し示すことが可能である。(10)

と、「だ」が意味をもたないことにされ、代用などという機能を「だ」に押しつけます。この誤りは、「だ」が肯定判断の表現であることが理解できないための論理的必然といえます。この注(10)では、<渡辺実 (1978) [1953]「叙述と陳述—述語文節の構造—」『日本の言語学』第3巻文法Ⅰ: 261-283,大修館書店.>を引用し、次のように記しています。

「だ」は体言を述語化するもので、述語の一部として扱うべきだと指摘している。また、「だ」が用言に接し得ない理由として、「だ」のもつ力は用言にはすでに備わっているからだと述べている。

これもまた、「だ」に「述語化する」機能を押し付けたり、「だ」のもつ力を用言に押し付けたりする謬見でしかありませんが、機能的発想ではそうならざるを得ないことになります。本論文もこうした機能的発想と、同類の生成文法の誤りが結びついた現在の言語学、国語学の誤りを反映した論文であることが判ります。

 そして、次の結論に至ります。

 本稿は「用言」説を支持し、「だ」は体言に接してそれを述語化することによって、「体言+だ」で述語をなすと主張する従来の論考 (渡辺19531971、寺村1982、北原1981、小泉2007) に基本的に賛同する。「雨が降る」「山が高い」といった発話における「降る」や「高い」が実質的な意味を持つ用言として単独で述語をなすのに対して、「彼は学生だ」「だといいけど」といった発話における「だ」は実質的な意味を持たずに、「体言+だ」で述語をなしたり、あるいは単独の「だ」で述語を代用したりする11。本稿では、それ自体が実質的な概念内容を持たずに、本来述語でない語句を述語化するあるいは述語を代用する働きを持つ「だ」の機能を形式動詞である「だ」の機能として捉えたい。

  ここで言われている、<「雨が降る」「山が高い」といった発話における「降る」や「高い」が実質的な意味を持つ用言として単独で述語をなす>というのは、先に指摘した「雨が降る■」「山が高い■」と判断辞が零記号になっていることが理解出来ない形式論理の産物であり、<動詞>「降る」や<形容詞>「高い」に判断辞の機能を押し付けたものです。山田孝雄の「用言の用言たる特徴は実にその陳述の作用を表す点にあり。」という主張と同じ誤りです。そして、その淵源は西欧文法の<動詞>解釈にあります。

 この機能的発想から、<辞>である<助動詞>「だ」を客体的表現である<詞>の<形式動詞>と見なす誤りに辿りつきます。次は、<動詞>とは何か、<形式動詞>とは何であるのかを検討しておきましょう。■

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