2015年10月23日

形式主義言語論の「壁塗り交替」という現象論 (7)

   「感情動詞の補語についての一考察 ―「ニ」と「デ」について」(5)

32 格助詞の「デ」ではない「デ」>の第三形容詞を検討してみましょう。

 村木(2002)は、品詞の分類は「統語的な機能を優先させなければならない」としたうえで、統語的な特徴から、「第三形容詞」という品詞を設けるべきであるとしている。村木(2002)の「第三形容詞」とは、「底なし一」「がらあき一」「ひとりよがり・」等である。これらの語は、名詞を限定修飾する際に「ノ」が現れるという形態上の特徴から名詞とされてきが、統語的には、次の4つの特徴を持っていると指摘されている。「補語(主語・目的語)になれないか、なりにくい」、「もっぱら規定語として、名詞を修飾限定する用法で使用される」、「コピュラをともない述語になる」、「副詞に特徴的な連用用法を持っている」の4つである。そして、この4つの特徴は形容詞の特徴であるから、「底なし一」等は、名詞ではなく形容詞であるとしている。

 事物の分類は機能ではなく、本質に基づきなされなければ正しい分類はできません。空を飛ぶからといって、鳥や蝙蝠や蜂を一纏めにし、第一鳥類、第二鳥類、第三鳥類などと分類するようなものです。ここで第三といわれるのは、通常の形容詞を第一とし、「ナ形容詞」を第二とし、「ノ形容詞」を第三と分類しています。ここでは、「ナ」「ノ」が活用とされ、これらを含めて一語とし、述語になるとするわけです。先にも述べたように、形容詞の本質は対象の静的な属性の表現であり、「ナ」「ノ」は主体的な表現を表す単語ですから、全く異質の語を一纏めにし機能の共通性から分類したものです。これは、英語の動詞が動的属性とともに、現在、過去、完了という時制、相の表現が一語に結びついている屈折語という特殊な言語の特性を膠着語という日本語に押しつけて解釈する誤りです。

 言語の本質を道具と見る、機能的な発想が語の分類にまで貫かれるという論理的な強制を受けた誤りといえます。「非文」などというプラグマテイックな方法にたよる生成文法もまた、まともな品詞分類をもたないため、恣意的な他からの借用に頼ることとなります。例に挙げられている、「底なし一」「がらあき一」「ひとりよがり・」等は名詞「底」と接尾語「なし」の複合語であり、「がらあき」は静詞、または状態副詞「がら」と静詞「あき」の複合語、「ひとりよがり」は名詞「ひとり」と動詞「よがる」の連用形が名詞に転成したものとの複合語です。認識を扱えない現在の言語学や国語学では単語の定義さえまともに出来ないのが現状で、分散形態論という生成文法に依拠した語形成論もまた同様です。ここでは、第三形容詞論の借用により、

  そうすると、さきに見た(11)の「盛況」は、4つの特徴を備えており「第三形容詞」であると言える。(12)の「寝耳に水」は慣用句であり、「副詞に特徴的な連用用法」は持っていないが、他の3つの特徴は備えており、「第三形容詞」に近いと言えるだろう。(11)(12)は、「第三形容詞」であるために、述語であると解釈されるのである。

 このように、「第三形容詞」の連用形の「デ」は、ナ形容詞の連用形の「デ」と同様に、「~デ、感情形容詞」という構文においては、述語であるという点で、格助詞の「デ」とは区別することができる。そして、「第三形容詞」の連用形の「デ」も、「二」に言いかえることはできない。

 と述語の活用とされ、格助詞ではないことになってしまいます。次は、「判定詞」なるものが出て来ます。注8を見ると、

 判定詞とは、「名詞と結合して述語を作る」働きをする「ダ」「デアル」「デス」のことである。(益岡・田窪(199225))

 とされます。ここでも、「働き」つまり機能による分類が行われています。音声や紙に書かれた文字が、どうしてこんな機能を発揮できるのかをまず論理的に解明すべきでしょう。それでなければ、単なる現象論か、言霊論でしかありません。説明を見ましょう。 

 次の例は、判定詞「ダ」の連用形の「デ」の例である(以下、判定詞「ダ」の連用形の「デ」を判定詞の「デ」と呼ぶ)注8

 (13)「逮捕は突然のことで{*に}驚いている。大学側から何の連絡もなく、どうしていいかわからない」(読売20090601

 (14) 2年生の次男坊がきかん坊で{*に}困っています。(知恵袋OC1001625

 (13)(14)は、それぞれ「逮捕は突然のことだ」「2年生の次男坊がきかん坊だ」が「驚く」「困る」にかかっているのであり、「突然のことだ」「きかん坊だ」は述語で、(13)(14)の「デ」は判定詞の「デ」である。このように主題・主語が言語化されている判定詞の「デ」は、「二」に言いかえることはできない。

  判定詞とされているのは、肯定判断・指定の助動詞「だ」で、連用形が「で」です。(13)は、「突然の逮捕で驚いている」とすれば、「突然の逮捕」という名詞句で、単に事態を客観的に因果関係で捉えた表現となり、「で」は格助詞で、「突然の逮捕驚いている」と対象の認識としても表現できます。しかし、例文のように、「逮捕は突然のことで」という表現は、「逮捕」を普遍性の認識「は」で主題とし、「突然のこと」と形式名詞「こと」で事態を動かぬものとして媒介的に再確認し、これを肯定、断定する話者の判断表現「で」により、話者の「驚き」という認識が語られています。従って、この場合は肯定判断・指定の助動詞「だ」の連用形「で」です。これを、「述語を作る」などという機能からしか説明できないのでは論理的ではありません。(14)も「2年生のきかん坊の次男」とすれば、格助詞による表現となります。文意から格助詞ではないとする指摘は正しいのですが、論理的な解明ではありません。

 <主題・主語が言語化されている判定詞の「デ」は、「二」に言いかえることはできない。>などと、現象を指摘するだけで、ではいいかえはどうすれば出来るのかを明らかにすることもできません。■

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