また、次のように、「二」と「デ」が共起する場合の「デ」も「二」に言いかえることはできない。
(8)睡眠不足で頭痛に悩んでいる。(宗田(1992))
(9)長期に亘る日照りで、作物の不作に苦しんだ。(三原(2000))注4
(8)(9)の「デ」を「二」に言いかえることができないのも、「感情の対象」と「原因」がそれぞれ存在することによる。
ここでは、話者が悩み(苦しみ)の原因と結果を因果関係として認識し「~デ~ニ悩む(苦しむ)」という対で表現されているのであり、単に「共起」という現象を捉えても意味がありません。「睡眠不足にも悩んでいる」、「長期に亘る日照りにも苦しんでいる」と言えます。
また、「睡眠不足と頭痛に(で)悩んでいる」し「長期に亘る日照りと、作物の不作に(で)苦しんだ」とも言える。
事実として、睡眠不足が原因で頭痛が起こっていても、何を悩みの対象と考え、因果関係をどのように捉え、表現するかは、あくまでも話者の認識の問題です。誤った認識をし、「頭痛で、睡眠不足に悩んでいる」と表現するかもしれないし、どちらが真実かは、表現とは別の問題です。
「二」と「デ」が共起するからといって、意味を問題にしなければ「言いかえる」ことはできるが、意味を考えれば最初から「言いかえる」ことはできないということです。
続いて、<3.2 格助詞の「デ」ではない「デ」>を見ましょう。
ところで、「~デ、感情動詞」という構文の用例を集めてみると、格助詞の「デ」ではない「デ」の用例がある。
まず、次の(10)は、ナ形容詞の連用形の「デ」である。
(10)「簡単で{*に}驚いた。非常食では飽きてくるし、普段の料理に近いものを食べると安心できる」(読売2008.12.23)注5
(10)は、災害時に簡単に作れる料理の講習会に参加し、さばのホイル包み焼きを作った人のコメントである。形容詞は何らかの属性を表すものであり、その属性の持ち主が必要である。(10)の「簡単で」は、言語化されていないが、「さばのホイル包み焼き」が属性の持ち主である。(10)の「簡単で」は、「さばのホイル包み焼きは簡単だ」の「さばのホイル包み焼き」が言語化されていないだけで、述語なのである。「さばのホイル包み焼きは簡単だ」ということが、「驚く」という感情を引き起こしたという点では、「簡単で」は「原因」であると言えるが、述語であるという点で、格助詞の「デ」とは区別することができる。そして、ナ形容詞の連用形の「デ」は、「ニ」に言いかえることはできない。
「簡単で」を一語の「ナ形容詞」の連体形とみることは、形容詞の活用と捉えるものですが、「形容詞」とは「属性」の表現であり、話者の主体的認識である原因の認識を表すことはありません。ここでは明らかに原因として認識し表現され、読み手もそのように認識しています。ここで論理が破綻しています。この矛盾を避けるために、「述語」などという規定を唐突に持ち出しているわけですが論理的とはいえません。
初めの所に、注5が付けられ、次のようになっています。
(10)は、「ニ」に言いかえた場合、「たやすく驚いた」という意味では適格文である。
と記されているように、「簡単に驚いた」とした場合は「簡単」は名詞ではなく静詞で属性表現の語と判断され、「さばのホイル包み焼き」が簡単なのではなく、「さばのホイル包み焼きを作った人」が「たやすく驚いた」という意味になってしまいます。適格文ではありますが、この文脈では全く意味が異なります。論者は、これをもって<「ニ」に言いかえることはできない>とし、「ナ形容詞」などを持ち出しているわけですが、これはとんだ藪睨みというしかありません。
たとえば、<「簡単‼」、に驚いた。>と、「簡単」の名詞性を明確にすれば使用できます。また、<簡単なのに驚いた>と、抽象名詞の「の」を使用して、「簡単なの」と概念を明確にすれば、「ニ」を使用できます。
ナ形容詞の連用形の「デ」は、「ニ」に言いかえることはできない。
のではなく、<漢語である静詞「簡単」という語の特性により単に「デ」を「ニ」に言いかえると全く意味が変わってしまう>のです。ここにも、単純に文を実体的に捉え、「言いかえ」と見る発想の誤りが露呈しています。言語表現の本質を正しく理解し、論理的に解明できなければ科学的な言語論とはいえません。■