2015年09月27日

上野誠 著『遣唐使 阿倍仲麻呂の夢』に見る粗雑な鑑賞 (1)

  先に、「天の原 ふりさけ見れば…」の解釈について上野誠氏の従来説に疑問を呈しましたが、題記の著作については未読でした。この書の内容を検討してみましょう。本書は、十七歳で養老元年(七一七)に遣唐使に同行し、唐朝の高官となり帰国を果たせずに唐で客死した中国名は仲満のち晁衡(ちょうこう)の足取りを追ったものです。本書は安倍仲麻呂を大和、奈良の出身として描いていますが、王維が阿倍仲麻呂を送る時に作った有名な詩「送鼂監歸日本」によれば、九州大宰府の地となります。この詩の解がポイントですが、著者は大和、奈良の出身を前提に注解しているため、その真実に届くことが出来ていません。実際問題、仲麻呂の出身地を記録した文書は存在しません。そして、「天の原 ふりさけ見れば…」の解釈もこの延長上で、先に論じたように従来説のままとなってしまいます。というより、この歌の解釈に基づき大和、奈良の出身とされているのが実体といえます。

  このキーポイントである王維の「送鼂監歸日本」の注解から見てみましょう。この詩の理解については、既に『九州王朝の論理 「日出ずる処の天子」の地』(古田武彦/古賀 達也/福永 晋三/著:20005月 明石書店刊)で従来説の誤りが正されていますので、これによって見ていくこととします。

 上野著では、第七章「阿倍仲麻呂と王維」で「本章は、本書の天王山である。」と記し注解を試みています。ここでは清代、乾隆帝時代の磧学・趙殿成の注他によっていますが、問題はその本文をどの版本によるかです。著者は中唐の詩集『極玄集』の冒頭が王維の「秘書晁監の日本国に環らむとするを送る」からはじまるとし、「『極玄集』は、唐の姚合の編」としながら、『極玄集』の版本ではなく、趙殿成『王右丞集箋注』版をそのまま引用、注解するという史料批判の基本が疎かにされているのがわかります。

  『極玄集』の冒頭の王維の詩は次のようになっています。

 (唐)姚合   ○王維【字摩詰河東人開元九年進士歴拾遺御史天寳末給事中肅宗時尚書右丞】

  送鼂監歸日本

  積水不可極 安知滄海東 九州何處所 萬里若乘空 向國唯看日 歸帆但信風 鼇身映天黑 魚眼射波紅樹扶桑外 主人孤島中 離方異域 音信若為通

 これに対し、趙殿成の『王右丞集箋注』は、

 送祕書晁監還日本國  幷序     王 維

で始まり、序を記した後、

  積水不可極 安知滄海東 九州何處遠 萬里若乘空 向國惟看日 歸帆但信風 鰲身映天黑 魚眼射波紅 郷樹扶桑外 主人孤島中 別離方異域 音信若爲通

 となり、次の注がついています。

  ※『全唐詩』によれば、

  九州何處遠……「遠」一作「所」。

  歸帆但信風……「帆」一作「途」。

  魚眼射波紅……「魚」一作「蜃」。

  これで判る通り、『極玄集』の題は「送鼂監歸日本」となっており、『王右丞集箋注』では「送秘書晁監還日本国竝序」となって、「秘書」が付加され、「帰」が「環」とされ、「日本」も「日本国」と「国」が加えられています。さらに、詩の中の「九州何処所」が「九州何処遠」に改竄されているのが分かります。この、「国」の付加と「処」→「遠」、「帰」→「環」の改竄の意味を著者は問うことなく、宋代以後の解釈に従い注解を試みていることになります。それが、王維の詩の理解を根本的に誤らせ、仲麻呂の歌の理解の誤りに結び付いていることが分かります。■

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